レストランのスピーカーから、サザンオールスターズの曲のイントロが、ぼくの耳にはいってくる。
静かなイントロだ。
だれしもが知っている曲だけれど、ぼくは「曲名」を知らない。
日本食のレストランでウェイターの仕事をしながら、スピーカーから流れる「日本の歌」に、ときおり懐かしさのようなものを感じる。
1996年、ぼくは大学を休学して、ニュージーランドに渡った。
ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに渡り、ぼくは、商業都市であるオークランドの日本食レストランで、運良くウェイターの仕事を得ることになった。
オークランドの中心街、海の近くにある日本食レストラン。
オーナーは韓国人、シェフは台湾人と中国人、ウェイター・ウェイトレスが日本人という、不思議な構成だ。
ぼくはニュージーランドに渡る前は、東京のカフェレストランで働いていたから、ウェイターという仕事そのものにおいては問題なかった。
やりとりは英語だから、ときおり日本食の説明にとまどったけれど、ぼくはとにかくよく働いた。
ワーキングホリデーの「ホリデー」はどこへやら、「ワーキング」が生活の主要な活動になっていった。
その日本食レストランで、バックミュージックに使われていたのが、日本のポップミュージックであった。
当時は、今では見かけない、カセットテープにふきこまれていた。
1980年代の「少し古い」音楽が流れる。
普段なら聞き流してしまうような曲たちも、異国の土地では、とてもいとおしい音色をひびかせる。
そんななかで、サザンオールスターズの曲の響きはとりわけ、ぼくの心を捉えていた。
静かなイントロに続き、「♫ 涙があふれる 悲しい季節は…」と、桑田佳祐の歌声が店内にひびいてゆく。
後に、ぼくは曲名が「真夏の果実」であることを知る。
南半球に位置するニュージーランドは、日本と逆で、ちょうど秋から冬にかけて季節が移り変わるときであった。
「真夏の果実」は、なぜか、ぼくのなかで「海外の風景」との親和性がたかい曲である。
東ティモールに住んでいたときも、それからここ香港でも、ぼくは「真夏の果実」のメロディーと歌声が、風景にしぜんと重なりあうのを感じてきた。
気がつけば、ここ香港も、ようやく秋が深まりつつあるところで、「真夏の果実」は夏が終わったところで(も)、ぼくの心にふれてくる。
これらそれぞれの空間に、無理やりに「共通点」を見つければ、<海>がいつも、ぼくの目の前にひろがっていた。
オークランドの海と港、東ティモールのディリと共にある海と港、それから香港をかたちづくり彩る海と港。
そこにはいつも<海>の風景があり、すこやかな風が吹いていた。