「丘」に現れる喪失と再起の<境界>。- 村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』 / by Jun Nakajima


「丘」をうたう歌謡曲を通じて、人と社会を考察した村瀬学の著作『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』(春秋社、2002年)は、心踊る作品だ。

歌謡曲の中で登場する「丘」にひかれ、「丘」をたよりに、村瀬は歌謡曲通史を試みた仕事である。

その中心的コンセプトとして、村瀬学は「丘」に、喪失と再起の象徴を見ている。

 

 なぜ万葉集の一番最初の歌に「おか」がうたわれているのか。
「丘は丘陵・丘墓にも用いる字。[説文]に「土の高きものなり。人の為る所に非ざるなり」とし、象形とする。墳丘の意にも用いる。」(白川静『字訓』)
 と説明されているように、古代から「丘」と「墓」は同じように意識されてきた側面がある。古墳も「丘」である。そういう意味では、「丘」とは、死者を葬る場所であり、同時にそこで死者を思い出す場所にもなっていた。つまり「丘」とは、失いと思い出しの場所、つまり失いと蘇りを象徴する場所、もう少しいえば、「喪失」と「再起」を象徴するものとしてあった…。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

しかし、それは物理的な「丘」だけに限らない<丘>である。

村瀬学は、次のように書いている。

 

…私は、ここで喪失と再起を象徴するもの全体を「丘」と呼ぶことにした。そう考えることで、なぜ歌謡曲で「丘」がたくさん歌われてきたのか。また「丘」が歌われなくなってから、その「丘」はどういうイメージに変形され、歌い継がれていったのか、そこのところをたどってみることができるのではないかと考えた。…
 丘とは、あくまで「境目」であり「境界」であり、そこには二つの領域の出会いがある。そこはAが終わる場所(喪失)であり、Bが始まる場所(再起)である。その接点を人は歌の中で「丘」と呼んできたのである。ここにはだから「複数の声」がする。Aであろうとする声と、Bであろうとする声だ。その「複数の声」を聞くということが、歌を聴くということの楽しみでもある。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

ここで述べられているように、喪失と再起を象徴するもの全体を、村瀬学は「丘」と呼んでいる。

村瀬学は、この<丘>という喪失と再起の象徴を導きの糸に、日本の戦後歌謡と社会をよみといていくスリリングな旅に出るのだ。

目次にならい、各年代のイメージとしては、次のようなものとして村瀬はよみとく。

●1950年代:「丘」から「峠」へ 
●1960年代:「丘」から「夕陽」へ
●1970年代:「独りよがり」の時代へ
●1980年代:「ワル」のふりをして
●1990年代:「激励」と「感謝」と

それぞれに取り上げられる歌は、美空ひばりや石原慎太郎、坂本九、サザンオールスターズ、モーニング娘。などなど、多岐にわたる。

直接に「丘」という言葉が歌に使われてきたのは六十年代までと村瀬は分析を加えているが、その1961年にヒットした坂本九の名曲『上を向いて歩こう』は、ひとつの時代を画するものとして、捉えられている。


 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜
 上を向いて歩こう にじんだ星を数えて 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜 
 幸せは雲の上に 幸せは空の上に
 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜
 (『上を向いて歩こう』永六輔詞・中村八大曲、昭和36、1961)

 

この曲が外国でも『スキヤキソング』としてヒットしたことはよく知られているところだけれど、そのひとつの要因として、この歌が日本的な情感や情念より、脱日本語的な「リズム」に共感をうけたことを、村瀬は指摘している。

そして『上を向いて歩こう』という曲も、<境界>に位置した曲であることを、村瀬は次のように書いていて興味深い。

 

 おそらくさまざまな意味において(というのは、リズムや歌い方や歌詞から見ても、ということなのだが)、この歌が「境界」の上でうたわれていることが見えてくる。特に歌詞から見れば、この歌が「失われた過去」と「幸せな未来」の境界に立っていることは一目瞭然である。「境界」だから、「前」も「後」も、まだ保留にされる。だから、ここに立てば、人は「上」を見ることができるのだ。そこにこの歌の持つ「丘」としての位置がある。人はこの「う・え・を・む・う・い・て、あーるこうおうおうおう」と口ずさむ時、「失われた過去」や「まだやってこない未来」をとりあえずカッコに入れて、涙がこぼれないように上を向くことで、元気付けられたのである。…

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

そこからひとたび視点を日本の社会に転じると、「上」は「高度成長」としての「上」とも重なり、高度な消費社会は人々のつながりを解体し、「一人ぼっち」にしはじめていたことにも触れられている。

この「一人ぼっち」(個人主義)につらなるものとして、「上を見る=星を見る=希望(夢)を見る=アメリカン・ドリームを見る」(村瀬学)といった生活の形式と内実があるのだ。

時代が歌に反映し、歌が時代をつくりだしてゆくような、そのようなものとして、歌謡曲と社会が捉えられている。

ぼくのことで言えば、「ニュージーランド徒歩縦断」の旅に旅立つときに、ニュージーランドの北島の果てでたまたま出会った日本人の方が、『上を向いて歩こう』をオカリナで吹いてくれたことを思い出す。

互いに「一人ぼっち」の旅であった。

ニュージーランドの北端のポイント、レインガ岬の近くでのことであった。

なだらかな「丘」が先までつづく道のりを歩くぼくの背中に向けて、『上を向いて歩こう』の曲がオカリナの音色にのって響いてくる。

その音色に確かに励まされながら、あの「丘」で、ぼくはどのような喪失と再起の<境界>を越えようとしていたのかを、20年以上が経過した今でも、ぼくはときどき考えてしまう。

 

 若い頃には、何でもないような歌に心ときめく歌謡体験をし、さらに何でもないようなささやかな一行の歌詞になぐさめられ、勇気づけられることがしょっちゅうあるものだ。それが、日々の「丘の体験」である。そういう体験が直接に「丘」という言葉を使って歌にされたのが六十年代までであって、その後は、言葉としては直接使われなくなる。それでも歌謡曲が存在する限り、すぐれた歌の体験は、大なり小なり「丘の体験」としてあるのだ…。

村瀬学『なぜ「丘」をうたう歌謡曲がたくさんつくられてきたのか』春秋社

 

歌は、ぼくたちの日々の「丘の体験」の時空を、ぼくたちの中につくりだしてくれる。

それにしても、今の時代の「歌たち」は、どのような「丘の体験」なのだろうか、あるいは「丘の体験」などなくしてしまったのだろうか。