「大学で学んでおくこと」の5つのこと。- 「18歳の僕」に未来からアドバイスするとしたら。 / by Jun Nakajima

コメディアンの萩本欽一が73歳で大学に入学し、学び直しをしながら「素敵な言葉」を探しつづけているという話を読んで、「大学で学ぶこと」ということを考える。

今は「大学で学ぶこと」が後の人生で必ずしも有利というわけではない時代に入ったから、「大学で学ぶこと」というトピックの立て方がよいのかどうかは定かではない。

コンテンツであれば、スマートフォンをひらけば、世界の「大学の講義」にアクセスできるし、大学の講義に限らず学びのプラットフォームはインターネットの世界にはてしなくひろがっている。

参考文献も、電子書籍でその場で手にいれることもできるし、「読み放題」的なサービスを利用してさまざまな書籍を読んでいくこともできる。

体験が必要とあれば、さまざまなイベントなどに参加もできる。

だから、資格系の学部などを除いて、「大学で学ぶこと」はオプションのひとつにすぎなくなってきている。

見方を変えれば、「生き方の幅」はひろがってきているし、学びの機会やプラットフォームも確実にふえてきている。

 

現実にはしかし、先進諸国や先進地域では大学に行く人は多く、「あえて大学に行かない」というオプションはまだとりにくいのが現状のようだ。

だから、「大学で学ぶこと」について書くことは、少しでも役に立つかもしれない。

ここでは、「大学で学んでおくこと」として「5つのこと」を挙げる。

でも、実は必ずしも「大学という場」に限ることではないのだけれど、それでも、ぼくは大学に入る年代の「自分自身」に向けて、未来から語りかけるように書こうと思う。

 

(1)学ぶことの「歓び」を経験すること

第一に、学ぶことの「歓び」を経験することである。経験は学びである。

「何かのため」という学びの効用はとても大切だけれども、学びの効用からはずれて、学ぶこと自体の「歓び(joy)」をどこかでつかんでおきたい。

それは「好奇心」によって導かれ、また「好奇心」をひらいてゆくような歓びである。

 

(2)学びにより「世界の見え方が変わる」経験をすること

「世界の見え方が変わる」経験をすることが、二つ目である。

ぼくは、経済学者の内田義彦の著作を読んで、このことがどのようなことであるのかを学んだことを覚えている。

情報の断片ではなく、概念・コンセプトや理論などの、いわゆる「メガネ」をかけてみることで、これまで見ていた「世界」がまるで違ったように見えてくる。

この経験の深さを、まずは一回でも体験すること。

このことは、一つ目の「歓び」を深めることであり、また、次の三つ目ともつながってくる。

 

(3)「論理」(考えること)を学ぶこと

概念や理論は「論理(ロジック)」で構築されている。

論理とは、ひとつの見方としては「物事を切り分けてゆくこと」である。

それは別の言い方では、「考えること」である。

論理(ロジック)は、論文などの文章を書くためにも必要になる。

論理を徹底的に学び習得することで、概念や理論をより理解し、本の読み方も変わってくるようになる。

 

(4)「学び方」を学ぶこと

それから、「学び方」を学ぶことは大切である。

大学に限らず、生きてゆく生涯が「学びの場」である。

その基本スキルとして、やはり「学び方」を知っておくこと。

 

(5)社会では「正解」はないこと

最後に、社会では「正解」はないことを知っていくことの契機を得ていくこと。

大学受験までは「正解を答えること(選ぶこと)」が主要であるけれど、社会には試験のような「正解」はない。

「正解・不正解」の世界ではなく、例えばビジネスなど、方法・手段は無限にある。

頭の使い方がまったく変わらなければいけないのだが、変わることの移行期として、大学の場を活用することである。

 

以上、もう一度、並べると次のようになる。

(1)学ぶことの「歓び」を経験すること
(2)学びにより「世界の見え方が変わる」経験をすること
(3)「論理」(考えること)を学ぶこと
(4)「学び方」を学ぶこと
(5)社会では「正解」はないこと

ぼくは、18歳の自分にたいして、この5つのことをアドバイスする。

もちろん、<学びの場>は、大学という中だけでなく、アルバイトや社会活動や旅やその他諸々において、いっぱいにひろがっている。

しかし、せっかく「大学という場」にいるのだから、これら5つのことを学んでおきたい。

大学を出て、20年以上になるけれど、ぼくはまだ毎日毎日が学び直しの日々である。

昨日は「数学の本」(正確には数学の思想史的な本)をひもといたところ。

そのような学び直しの日々の中で、これら5つのことが、逆に浮かび上がってきたようなところなのだ。