思考の戯れのなかで、「Transition(トランジション)」という言葉に光があてられたかと思ったら、ぼくの思考は、国際協力という実践において以前立っていた時空間にとんでいった。
それは、緊急支援と開発協力の<あいだ>という時空間である。
紛争や大災害のインパクトを受けながら、「緊急支援」として状況への介入がなされる。
紛争であれば例えば難民支援であったりするし、大災害でも地震や津波で家を失った人たちへの支援であったりする。
その後、状況が落ち着き、避難していた人たちは(可能であれば)もともと住んでいた場所などに戻っていく。
しかし、いわゆる途上国においては、戻った場所での生活基盤も脆弱であることが多く、開発協力などで、中長期的に支援をしていくことがある。
「緊急支援→開発協力」へという流れにおいて、その中間である「生活にもどっていく」段階での支援がある。
西アフリカのシエラレオネ、それから東ティモールでぼくが活動をしていたときの、ぼくの立ち位置は、まさにその段階であった
「トランジション」での支援である。
「緊急支援→開発協力」の図式で言えば、矢印のところである。
ぼくはもともと、発展途上国の「開発協力」を学んでいた。
地域に根ざし、中長期的な視野で、持続可能な発展へときりひらいてゆくための、支援である。
先進国の押しつけ(だけ)にならない支援のコンセプトが、一気に出てきていた時期である。
人生というものはわからないもので、ぼくが仕事を得たのは、緊急支援に比重をおく組織であった。
ぼくの最初の赴任地は、西アフリカのシエラレオネ。
紛争終結後で、緊急支援とともに、帰還民支援として「トランジション」の支援に入っていた。
次の赴任地である、東ティモールでも、紛争後の緊急支援に一区切りがつけられる時期であった。
地に足をつけて「開発協力」を志していたから、複雑な気持ちを抱きながらも、ぼくはこの「トランジション」の支援に意味を見出してゆく。
実際に、「緊急支援→開発協力」への繋ぎの大切さと方法論が議論されていたころであった。
緊急支援はスピードと規模ゆえに、その地域に大きなインパクトを与える。
一気に、人や物が流れ込み、問題解決を達成しながら、しかしその大きなインパクトゆえに負の部分も残してしまう。
だから後々の着地はもとより、その着地にいたるプロセスがセンシティブで難しいのだ。
そんなことを、「トランジション」という言葉を手がかりにして、ぼくはふと考えたのであった。
そして今、世界は、「トランジション」の段階だ。
20世紀後半に一気に経済的な発展を遂げ、そこから「次なる時代」へとつながっていく段階である。
ぼくはこのトランジションに焦点をあてている。
国際協力でぼくの立っていた時空間と、今ぼくが立っている時空間は、「トランジション」という状況でつながっている。
そこで、ぼくのできることはなんだろうかとかんがえる。