思考の方法として、書くことの方法として、「 」と< >というように、違う括弧でくくる方法がある。
社会学や哲学などで使われる方法である。
ぼくも、この方法を日々の思考の過程で駆使し、ブログなどを書くときにも使っている。
社会学者である若林幹夫が、著書『社会(学)を読む』(弘文堂、2012年)のなかで書いている説明を、ここで引いておきたい。
「社会学の本」と<社会学の本>のように、同じ言葉を「 」と< >という違う種類の括弧にくくって区別する手法は、見田宗介(真木悠介)の著作をはじめとして、社会学や哲学でしばしば見られる表記法、思考法である。「 」は“一般にその言葉で指し示されていること”を意味する場合が多く、<>は“より本質的な意味でその言葉が指し示しうること”を意味する場合が多い。
若林幹夫『社会(学)を読む』弘文堂、2012年
若林幹夫が書いているように、見田宗介(真木悠介)の著作でよく使われていて、ぼくがはじめてこの用法を学んだのも、真木悠介の名著『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)においてであった。
『気流の鳴る音』のなかでは、「世界」と<世界>というような区分けがされ、それ自体が本の全体とその内実を構成するような本質的な区分けである。
ぼくは<>により本質的な意味を追う人たちの書くものに魅了されてきたし、またそのような人たちがいることにも勇気づけられたものだ。
それほどに、一般的な言葉(「 」)で語られるような「世界」の表層的な世界に疲れていたし、疑問を感じていたし、この括弧をひらいていきたいとも思っていた。
『気流の鳴る音』が書かれたのは1970年代であり、ぼくがそれに魅かれたのは2000年頃であり、そのことを振り返っているのは2017年。
この期間だけを見ても、40年から50年の間、この表記法と思考法が必要とされてきたことを、ぼくは経験と感覚において感じている。
そして、今を含め、これからのまだ見ぬ時代に向かって、この表記法と思考法は、ますます重要性を増してくるものと思う。
「一般のもの」が疑われ、解体され、再構築されていくなかで、「本質的なもの」をとらえていくことが求められる。
例えば、それは、すでにして「人間・ヒトとは何か」という問いへと、世界の知性たちの思考を向けている。
それほど大きな問いではなくても、日々の仕事や生活のなかで、当たり前のことを「 」に入れて考える。
それだけでも、いろいろな効果や効用がある。
そして、「 」と< >という違う括弧に入れて書く方法は、表記法と思考法というだけでなく、生き方の方法としてもつきぬけてゆくところに「世界」がひらかれていく。