社会学者「見田宗介=真木悠介」の文章が
ぼくにとって魅力的な理由のひとつは、
本質的な問いに降りていくことにある。
常に「本質」への視線を投げかけていて、
本質的で、根源的な視点が地下の水脈に
流れている。
著書『気流の鳴る音』では、
「根をもつことと翼をもつこと」という
人間の根源的な欲求を展開していく。
同著には、また、
「彩色の精神と脱色の精神」と題される
文章が記されている。
われわれのまわりには、こういうタイプ
の人間がいる。世の中にたいていのこと
はクダラナイ、ツマラナイ…という顔を
していて、…理性的で、たえず分析し、
還元し、…世界を脱色してしまう。…
また反対に、…なんにでも旺盛な興味を
示し、すぐに面白がり、…どんなつまらぬ
材料からでも豊穣な夢をくりひろげていく。
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房)
真木悠介先生は、この「二つの対照的な
精神態度」を、
<脱色の精神>と<彩色の精神>と呼ぶ。
この対照的な精神態度は、
ぼくたちの日々の生活への「見直し」を
せまる。
ぼくは、10代のきりきりとした時期に、
「脱色の精神」にとりつかれていた。
そんなぼくは、海外への旅をきっかけに
「彩色の精神」を取り戻していくことに
なった。
また、次のような根源的な視点も
ぼくをとらえて離さない。
見田宗介先生は『社会学入門』(岩波
書店)の中で、「自由な社会」の
骨格構成を試みる。
この社会構想は、発想の二つの様式を
もとに展開される。
それは「他者の両義性」である。
他者は第一に、人間にとって、生きる
ということの意味の感覚と、あらゆる
歓びと感動の源泉である。…
他者は第二に、人間にとって生きる
ということの不幸と制約の、ほとんど
の形態の源泉である。…
見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
この他者の両義性をもとに、
「交響圏とルール圏」という社会構想
の骨格を、この「入門」の書で展開
している。
(「入門」はある意味で「到達地点」
でもある)
このように、「見田宗介=真木悠介」
の方法のひとつは、
本質的な問いに降りていくこと、
根源的な地点から思考することである。
日々の生活のなかで、表面的な現実に
疲れたとき、ぼくは、本質的で
根源的な地点に、思考を降ろしていく。