「文明に向かって」(Toward civilization)
と題されたSeth Godinのブログ(英語)
は、次のような引用ではじまっている。
If war has an opposite, it’s not peace,
it’s civilization.
(inspired by Ursula LeGuin writings
in 1969)
「戦争の反対語があるとすれば、
それは平和ではなく、文明だ。」という
言葉に考えさせられてしまう。
文明を逆戻りするという思想への警鐘
でもあるけれど、ここでは、3段階で
議論の方向性をすすめておきたい。
歴史家Yuval Noah Harariと
社会学者の見田宗介を手がかりに。
(1)「サピエンス」の共同性
歴史家のYuval Harariは、われわれ
人類(サピエンス)の特徴は、
他の哺乳類に見られない「大規模に
協力できること」を挙げている。
それを媒介するのが「物語」である。
人類は、物語を媒介に、協力すること
ができる。
「お金という物語」は、文明社会、
近代・現代の人たちの全域に広がって
きたものだ。
ただし「物語」はいろいろにつくられ
それぞれの「共同体」に共有されていく。
「物語」によっては破壊的な物語が
あり、争いや大規模な戦争につながる
こともある。
(2)「戦争」の次にくる課題
ただし、Yuval Harariが著書『Homo
Deus』で指摘するように
人類は「飢饉、伝染病、戦争」を
管理可能な課題にまでもってきた。
テロリズムも、問題だけれども、
テロで亡くなる人は、例えば、世界の
「自殺人数」よりも少ない。
Yuval Harariは、人類が次に直面する
課題は、次の3つとしている。
・不死
・幸せ/至福
・「神的な領域」に入ること
この内、戦争への直接的な契機として
「幸せではないこと」がありえる。
だから、この「幸せ」の領域を
人類がつきつめて解決していけば、
戦争はさらに管理可能なものとなる
可能性がある。
「文明」をつきつめていき、「神的
な領域」へ人類をアップグレード
させる工学的アプローチ(生物、
サイボーグ、非有機物)は、そのこと
に大きく貢献するかもしれない。
(3)「関係の絶対性」という課題
工学的アプローチで、例えば脳や体内
分泌等をコントロールするなどして
「幸せ」をつくりだす方向性は、
しかし、社会の構造がつくりだす
「関係の絶対性」とその帰結の問題を
残してしまう。
社会学者の見田宗介は、「文明の基本
の思想の原型たち」(巨大な思想、
哲学、宗教など)が解決し残した課題
として、この「関係の絶対性」を挙げて
いる。
「関係の絶対性」とは、
ぼくたち個人の良心や思想などに関係
なく、社会が、客観的な関係として
創出してしまう「絶対的な敵対関係」で
ある。
(ぼくは、小さいころから、この
客観的な敵対関係を「自分の問題」と
して悩み続けてきた。)
貨幣経済などを媒介に、社会は、
客観的に・遠隔的に、他の社会を収奪
している。
見田宗介は「911」を振り返り、
テロリズムの撲滅に対して次のように
展開している。
世界中に逃げ散ってひそむテロリズム
の息の根を止めることができるのは、
アラブと五つの大陸の貧しい民衆だけ
です。
アラブと五つの大陸の貧しい民衆が
「おまえはいらない」というときに
はじめて、テロリズムはほんとうに
消える。
見田宗介『社会学入門』(岩波書店)
「関係の絶対性」は、テロリズムを
つくり、希求し、容認する人たちを
排出していく。
「関係の絶対性」は、テロリズムを
正当化してしまう。
文明を逆戻りするのではなく、文明を
つきつめていくことは、さしあたり
ただしい。
人類は、文明を通じて、3つの課題
(飢饉、伝染病、戦争)を乗り越え
つつある。
しかし、文明の「つきつめる方向性」
と「つきつめ方」を、想像力豊かに
構想していくことがもとめられる。
「文明の思想の原型たち」は、見田
宗介がいうように、「関係の絶対性」
を未解決の問題として残してきた。
だから、この「関係の絶対性」を
転回する思想がもとめられる。
そこで、Yuval Harariが指摘する、
人類の大規模な共同性が、交錯して
くる。
そして共同性をつくる「物語」。
Yuvalがいうように、そこには
大胆な「イマジネーション」が必要だ。