西アフリカのシエラレオネで参加した「運動会」の記憶。- 鮮烈に残る「光景」に導かれて。 / by Jun Nakajima


昨日「4月27日」は、西アフリカの
シエラレオネの「独立記念日」であった。
シエラレオネは、1961年、イギリスから
独立した。

この日を特別に記憶していたわけではない
けれど、シエラレオネの友人のメッセージ
で、気づいた。
友人は、お祝いムードとは逆に、今の
シエラレオネの社会問題に、真摯に目を
向けていた。

シエラレオネは、以前の長い紛争の影響で
今でも「世界で最も平均寿命が短い国」で
ある。
世界保健機関(WHO)の最新データでは、
シエラレオネの平均寿命はようやく50歳代
にのり、「50.1」である。

ここ香港は、「世界で最も平均寿命が長い」
ところである。
この落差に、ぼくは「感覚」がくずれて
しまう。

さて、その香港で、この特別な日を意識
していたわけではないけれど、昨日は、
シエラレオネからの「トランジット」で
ロンドンにいたときのことを書いた

なぜか、その記憶と一緒に、シエラレオネ
の「運動会」の記憶が、わきあがってきた
のだ。

何故かはまったくわからないけれど、
つながりのひとつを挙げるとすれば、
シエラレオネのコノ地区の中心「コノ」の
町の記憶である。
でも、それはつながりの「粒」が大きい。

ともあれ、2002年から2003年にかけて
コノに滞在していた折、
ぼくたちのNGO組織のコノ事務所スタッフ
で、運動会に参戦したことがある。

そもそも、コミュニティ活動の一環であっ
たと思う。
ある日、運動会のオーガナイザーの方々が
事務所にやってきて、運動会をやるので
寄付をしてほしい、という依頼を受けた。

いろいろと考慮した挙句(立場上いろいろ
と考慮する必要がある)、ぼくたちは
運動会の運営費を補助することにした。
そして、ぼくたちの組織も、チームとして
運動会に参加することになった。

西アフリカのシエレラオネ、そのコノ地区
で行われた「運動会」。
そんな経験は、誰もができるわけではない。

運動会といっても、場所は「原っぱ」の
ようなところ。
でも、子供から大人まで、人々の熱気と
エネルギーと笑顔が、運動会にふさわしい
「場」をつくっていた。

ぼく自身は、競技には参戦しなかったけれ
ど、会場に赴き、スタッフたちを応援した。
最後はどうなったかは覚えていない。

昨日から、わきあがってくるイメージは、
「入場行進」である。
コミュニティーの小さな運動会でも、
入場行進があった。

各チームは、それぞれに「チーム・カラー」
が決められた。
ぼくたちは「白色」であった。
各チームが、順番に行進をする。
オリンピックのようなイメージだ。

しかし、オリンピックや、日本の学校の
行進とは、根本的に異なる様子が、
鮮烈なイメージとして、ぼくの記憶に刻ま
れたのだ。

それは、「踊り」である。
子供も大人も、踊りながら、行進をして
いくのである。
アフリカは、踊りが文化に溶け込んでいる。
しかし、ぼくは、行進までもが、踊りの場
になるとは、思ってもいなかった。

そして、踊りは、超一級である。
子供たちも、ここぞと、自分たちの踊りを
見せていく。

この光景は、圧巻であった。

ぼくは、と言うと、踊りは全然ダメだから、
笑顔で、みんなの輪の中にいた。
祝祭としての、運動会であった。

紛争が終結して間もないシエラレオネで
体験した、この光景と祝祭は、
ぼくの中に「希望の光」として残っている。
「光」の景色である。

紛争後の様々な困難もある。
世界で最も寿命が短い。
エボラがシエラレオネを襲ったときもある。
社会問題も、数え上げたらきりがない。
ぼくは、それらが感覚として、自分の内奥に
残っている。

でも、ぼくの中に残っている、
この「希望の光」も、尽きることなく、
燃え続けている。

メッセージを放ったシエラレオネの友人は
自身として「行動すること」を表明して、
文章を終えていた。

ぼくも、どのように、この「希望の光」を
行動へと移し変えていくかを、考えている。

具体的な一歩の前に、
友人にメッセージをうっておこう。
それらの問題・課題へは、どんな形であれ、
ぼくもサポートすることを。
サポートが、どんなに小さくても。

 

追伸:
シエラレオネにいたときから15年が
経過しても、シエラレオネの人たちと
つながりがあることはうれしいことです。