村上春樹著『翻訳(ほとんど)全仕事』から学ぶ、翻訳・仕事・生き方の作法 / by Jun Nakajima

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)の主要なコンテンツ
は、次の二つである。

●翻訳作品クロニクル 1981-2017
●対談(村上春樹x柴田元幸)

「翻訳作品クロニクル」では、
これまでの翻訳仕事を取り上げ、
ひとつひとつに、解説や背景、
思うところをつづっている。

このひとつずつを読むだけで
「村上春樹の世界」に入ることが
できる。
それだけで、世界は素敵になる。

「対談」は、「翻訳業の師匠役」
(村上春樹)である柴田元幸との
対談である。

これまでも、村上春樹と柴田元幸は
他の本でも翻訳対談を刊行してきた
けれど、今回は「翻訳クロニクル的
な視点」での対談がくりひろげられ、
世界はまた、それだけで素敵になる。

以下では、ぼくにとっての印象的な
学びと気づきから、ほんの少しだけ
をピックアップ。

 

(1)翻訳の作法について

村上春樹の翻訳により文章が
「村上化」しているという主張に
対して、村上春樹は次のように
語っている。

 

…僕の色が翻訳に入りすぎていると
主張する人たちもいますが、僕自身
はそうは思わない。僕はどちらかと
いえば、他人の文体に自分の身体を
突っ込んでみる、という体験のほう
に興味があるんです。自分のほうに
作品を引っ張り寄せてくるという
よりは、自分が向こうに入って行っ
て、「ああ、なるほどね、こういう
ふうになっているのか」と納得する。
その世界の内側をじっくりと眺めて
いるととても楽しいし、役に立ちます。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

ぼくは、この感覚がとてもよくわかる。

ぼくが翻訳という作業をしはじめたのは、
とりわけ、大学と大学院でである。
仕事ではなく、「課題」のようなものと
してであったけれど、中国文学の翻訳も
あったし、英語論文の翻訳もあった。

論文では、その著者の「論理」の中に
入りこみ、論理をたどった。
その過程で、言葉の「定義」をひとつ
ひとつ確認して、著者の意図に、身体を
投じた。
その中で「行間」が浮かび上がってきた
りした。

ぼくにとっては、翻訳的作業は、
「自分という殻」を一休みして、一旦
外に出るような行為だ。
翻訳はヤドカリの殻の部分をひと時の
間、交換するような作業だ。

村上春樹の言葉とリズムが、ぼくの
身体に、すーっと、浸透してくるのが
わかる。

 

(2)仕事の作法について

柴田元幸との対談の中で、村上春樹は
「翻訳仕事の仕方」を語っている。

村上春樹の「仕事の仕方」に学んで
きたぼくとしては、「なるほど」と
うなずくところだ。

「一日の時間配分」を聞かれた村上は、
次のように応答している。

 

基本的に時間があまっちゃうんですね。
僕はだいたい朝四時頃起きるじゃない
ですか。だから朝のうちに自分の小説
の仕事を済ませちゃうと、あとは時間
があまって……。ジムに行ったり走った
りするのは一、二時間あればオーケー
だから、まだ暇がある。それで、じゃあ
翻訳でもやろうかと思って、ついつい
やっちゃうわけです。…朝のうちは翻訳
はしません。朝は大事な時間なので、
集中して自分の仕事をして、翻訳は午後
の楽しみにとっておきます。
で、日が暮れたら仕事はしない。…

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

「午後の楽しみ」の翻訳は、しかし、
2時間ほどで疲れてしまうようである。

村上春樹の圧倒的な質量の翻訳書は、
この「午後の楽しみ」から生まれている。

 

(3)生き方の作法について

「まえがき」で村上春樹が、翻訳書の
総体を眺めながら振り返る言葉が印象的だ。

 

ここにこうして集めた僕の翻訳書を
順番に眺めてみると、「ああ、こういう
本によって、こうして自分というものが
形づくられてきたんだな」と実感する
ことになる。

村上春樹『翻訳(ほとんど)全仕事』
(中央公論新社)

 

翻訳書のひとつひとつも魅力的だ
けれど、翻訳という作業の総体は
「作家・村上春樹」の生き方を
照らし出している。

「作家・村上春樹」は、翻訳という
丹念な作業の積み重ね(そのうちに
は「壊しては作り直す」作業で一杯
だったとぼくは思う)と、自身の
小説執筆という深い「井戸掘り」の
内に、やはり「創られながら創る
こと」(真木悠介)
という経験を
生ききってきたのだと、ぼくは思う。

ぼくも、そんな経験を生きていきたい
と、村上春樹の翻訳書と本書を前に、
感じてやまない。


追伸:
翻訳書のすべてを読んだわけでは
ないけれど、
ぼくは『グレート・ギャッツビー』
の翻訳が好きです。
スコット・フィッツジェラルドが
書く「冒頭」もすごいけれど、
村上春樹の翻訳する「冒頭」も
すごいです。