香港で、市場に併設の食堂で食べた麺の記憶 - よく晴れた朝の静かな市場で。 / by Jun Nakajima

香港のよく晴れた朝、
出来立てのパンと新鮮な果物を手に
いれるために、近くのパン屋さんと
市場に足を運ぶ。

都会の香港だが、新鮮な野菜や果物
などを売っている市場(いちば)も
各地でにぎわっている。

きれいな場所とは言えないけれど、
最近は各地で改装が進んでいたりする。

アジアを一人旅していたころは
よく市場に行った。
その土地の生活が垣間見え、
また、自分の五感が開かれる。

現代人は五感の中で、「眼」に
「支配」されている。
アジアの市場の音や匂いなどは
ぼくたちの五感を開いてくれる。

香港に住むようになって、しかし、
スーパーマーケットに頼りきりに
なってしまっていた。
それはそれで便利だけれど、
最近は市場に買い出しにいくこと
が多い。

だから、今回も足を運んだのだ。
朝方で、まだ人はまばらであった。
(香港の「朝」はあまり早くないの
だろう。)

まずは、目当ての果物を手にいれる。
それから、朝の市場を歩く。
野菜や果物などの「新鮮さ」にひか
れる。

その「新鮮さ」にひかれて、
併設の小さい食堂の前で立ち止まる。
家に帰って朝食を食べる予定だった
けれど、ここで牛肉麺を食べてみる
ことにした。

20年以上前のベトナム旅行を思い出す。
市場横でフォーを食べたものだ。

メニューの一番上にある麺(”牛腩河”)
をオーダーした。
2分ほどで麺が運ばれてくる。
見るからに、新鮮だ。

案の定、おいしかった。
ぼくの期待に、期待を超えて、
きっちりと応えてくれる。
お肉も、ネギも、麺も、スープもとても
新鮮だ。

なんでもないお店だけれど、
そこにはやはり食の文化がある。
ガイドブックにものっていないし、
レストランを紹介するアプリにも
でてこない。

でも、作家・辺見庸が『もの食う
人々』の取材で、世界の美味しい
ものを探し求めていきついた境地
を、ぼくは思い出す。

食材や調理ももちろん大切だけれど、
いきつくところ、食べる側の状態に
よってしまうのだ。

香港のよく晴れた朝に、
気持ちよく外を歩いて、市場に足を
運び、そこの店に静かに腰掛ける。
おじさんが、一所懸命に、プライド
をもって麺をつくり、おばさんが
運んできてくれる。
ぼくたちはそれを静かに味わう。

そこに、忘れられないおいしさが
生まれる。
そのおいしさは、繰り返しのきかない、
一回限りのものだったりする。
味を正確には覚えていないけれど。


追伸:
「写真」は麺とスープに少し手をつけた
後にとりました。
運ばれてきて、温かい内にすぐに
食べることが、作り手に対する
礼儀です。
写真なんかとっている場合では
ないけれど、さっとだけ、撮りました。