野口晴哉著『治療の書』- 「巨人」を前に、心と身体の姿勢を正す。 / by Jun Nakajima


整体の創始者といわれる野口晴哉。
1911年、東京生まれ。
野口晴哉の著作のひとつ『治療の書』
は、野口晴哉「治療生活三十年の私の
信念の書」である。

天才的な治療家であった野口晴哉は
三十年の治療生活に専心した後に、
治療を捨て「整体」を創始していく。
この書は、治療三十年に終止符を
打つ書であった。

もともとの文章は1949年に書かれた
ものである。
ぼくが手にしているのは「再版」の
書で、1977年に初版が出版されている。

出版された著作であるけれども、
野口晴哉が述べているように、
この書は、野口晴哉が「自分の為に
記したようなもので、売るつもりでも、
他人に理解してもらうつもりで記した
ものでもない」。

この書の存在を教えてくれたのは、
社会学者の見田宗介先生の著作で
あった。

「春風万里-野口晴哉ノート」と
題される文章の中で、
「一冊の本をと問われる時」に
挙げる書のひとつとして、
野口晴哉『治療の書』を挙げている。

見田宗介はこのように書いている。


一冊の本をと問われる時に、…
『治療の書』を挙げるということは、
とりわけて心のおどる冒険であるよう
に思われる。…その書名からしても、
…何か実用的な健康書か医療技術の
専門書か、そうでなければ反対に
宗教書の類のごとくに受け取られかね
ないからである。それはいくつかの
わたしにとって最も大切な書物と同じ
に、「分類不能の書」、野口晴哉の
『治療の書』としかいいようのない
孤峰の書である。

見田宗介『定本 見田宗介著作集X』
(岩波書店)

 

この文章に「呼びかけ」られて、
ぼくはこの書を日本から、ここ香港
へと取り寄せた。

この書は確かに「分類不能の書」で
あり、読むたび、そのときの自分の
ありようによって、さまざまな角度
と仕方で語りかけてくる書である。

この書を目の前にしながら、そして
この書の一言一言をゆっくりとかみ
しめながら、ぼくの「姿勢」が正さ
れていく。

目次構成はこのようである。

【目次】

治療といふこと
治療する者
ある人の問へるに答へて
治療術
わが治療の書
後語

目次構成には「治療」の文字が
あふれているが、
見田宗介が書いているように、
決して、実用的な健康書や医療技術
の専門書ではない。

「治療」をはるかに超えて、
仕事のこと、プロであること、
そして深く、人間のことにまでつらぬ
いていく書物である。

「治療する者」の文章の中で、
このように、野口晴哉は記している。


治療といふこと為すに、自分の心の
こともとより大切也。されど技を磨く
こともつと大切也。されど磨きし技を
いつ如何に用ふるかといふこと心得る
ことはもつと大切也。その為には冷静
なる不断の観察が大事也。観察といふ
こと興味をもつて丁寧に行へば次第に
視野が広くなり、普通の人には見へぬ
ことをも見へるやうになる也。この鍛
錬行はず、物事に出会ひたる時自分の
記憶の中を探し廻って目前の事実を
合せやうとしてゐるやうではその時
そのやうに処すること出来ぬ也。…
 その時そのやうに処する為には、
自ら産み出す力もたねば為せぬこと也。
習つたことを習つたやうにくり返す
人々は記憶の樽也。治療家に非ず。

野口晴哉『治療の書』(全生社)
 

「治療」を「問題解決」と置き換えて
考えていくだけでも、問題解決の際
の心構え、普段の準備、絶え間ない
学び、視野(パースペクティブ)、
などなど、考えさせられることばかり
の、一言一言である。

作家の村上春樹は、川上未映子に
よるインタビュー(著書『みみずくは
黄昏に飛びたつ』)の中で、
「何も書いていない時期のこと」を
語っている。

作家にとって必要なものとしての
「抽斗」をもっておくこと。
何も書いていない時期に、せっせと、
「抽斗」にものを詰めていくこと、
などを。

村上春樹が小説を書くという「総力戦」
は、野口晴哉の言う「産み出す力」で
戦われる場である。

村上春樹がいう「作家」と、
野口晴哉がいう「治療家」は、
深い地層において、つながっている。

野口晴哉の『治療の書』は、
これだけの言葉をとりあげても、
話の尽きることのない、インスピレー
ションを、ぼくたちに与えてくれる。

そして、これからも、ぼくたちに
尽きることのない、渇れることのない
インスピレーションを与え続けて
くれると、ぼくは思う。

野口晴哉は、この書の「あとがき」を
このようにしめくくっている。

 

この書に記したことは、三十年間少し
も変らなかったことばかりである。
これからも変らないであろうことを
確信している。

野口晴哉『治療の書』(全生社)