香港では、今日(西暦2017年5月30日)
は「端午節」で、いわゆる祝日にあたる。
中国文化圏では「旧暦5月5日」が、
「端午節」になる。
端午節は、古代の詩人、屈原(Qu Yuan)
を偲ぶ日と言われる。
川に身を投じた屈原のことを知った人たち
が、
・「ちまき」を川に投げ入れることで、
屈原の遺体が魚に食べられてしまうことを
防ごうとしたこと、
・屈原の救出のために「舟」を出したこと、
から、
その風習が今でも形として残っている。
香港でも、端午節には、
・「ちまき」を食べること
・「ドラゴンボート」の競争が行われること
の風習が今でもある。
毎年、食品市場などで「ちまき」が見ら
れる時期が来ると、端午節の到来を感じる。
そして、ぼくは忘れかけている風習の由来
を思い出すのだ。
もちろん、このような風習は、
現代社会の中で、いろいろな力学に作用
されて、形骸化されやすい運命をたどる。
ただし、それは「形」だけであっても、
社会の中に「時のリズム」をつくり、
また、「共通のもの」を共有する装置と
なる。
文化の内部でそれら風習を守る人たちの
実践と、また(ぼくのような)「外部から
訪れる者」の興味とが、幸福な仕方で
スパークすることで、文化や風習が新しい
光を獲得していくこともある。
<横にいる他者>(真木悠介)との
「関係のゆたかさ」が、生のゆたかさの
内実をつくることの、ひとつの形でもある。
<横にいる他者>の視点が、
「あたりまえ」のこと/ものに、
新鮮な見方や楽しみ方を与えることがある。
(そのようなことを先日ブログで書いた。)
ぼくがかつて(そして今も)日本文化に
ついて聞かれるように、
ぼくも、他の文化のことを、その文化に
生きる人たちに聞く。
世界のいろいろなところで住みながら、
その場所の文化を尋ね、知り、体験し、
自分の世界を開いていく。
そのように、自分の「外部の世界」が
開かれるとともに、
自分の「内部の世界」が豊饒化されていく。
自分の中に「世界」が具体性をもって、
描かれていく。
教科書で読む「世界」ではなくて、
具体的に生きられる「世界」である。
そして、もしかしたら、<横にいる他者>
の世界も、少しばかりの光をきらめかせる
かもしれないと、思ってみたりする。
香港で迎える、11回目の端午節に、
ぼくは、そんなことを考える。
追伸:
端午節は「5月5日」で「5」が
並ぶ日です。
香港の街で、車道にカメラを向けて
シャッターを押したら、
アップロードした「写真」が撮れました。
バスとタクシーとトラム全部で、
「5台」です。
「交通機関の5種類」と見れば、
この写真には、
・バス(2階建てバス)
・ミニバス
・トラム
・タクシー
・自動車(後方に小さく見えます)
が写ってます。
香港の「移動」に使う交通機関が
一通り、ここにきれいに移りました。
シャッターを押して、写った写真を
見ながら、驚きました。