<身の丈>に向きあうなかで、見つけたもの。- 海外・途上国・自然のなかで「テクノロジー」から切りはなされて。 / by Jun Nakajima

「身の丈」を、文字通りの「原義的」に読み替えること、そしてそうすることで体験のひとつを伝えることが、この文章の意図するところである。

「身の丈」という言葉の意味は、辞書的には、次のようである。

  1. せいの高さ。身長。背丈。…
  2. (多く「身の丈に合った」の形で)無理をせず、力相応に対処すること。分相応。…

(出典)「デジタル大辞泉」

「原義的な読み替え」は、言って見れば「1と2の間」に、開かれる。
 

ぼくたちは、現代という時代のなかで、「自分・自我という幻想」を、幾重にも「拡大・拡張」している。

例えば、経済力(があること)は、「自分・自我という幻想」を拡大・拡張しがちだ。
また、経済力は往々にして社会ステータスのようなところと密接につながっている。

「身の丈に合った…」と言うとき、身の丈に合った生活、身の丈に合った出費などと使われる。
往々にして経済力(また経済力を上げるための能力)において、「分相応」であるべきことが語られる文脈だ。

経済のグローバル化が進展した現代において、「経済力」は、世界のどこでも威力をもち、ぼくたちの「自分という経験」を形成する、大きな要素である。

他方、社会的ステータス(会社や学校など含む)は、世界どこでも通用するものから、国内やローカルでしか通用しないものまで、幅がある。

「海外」に出ると、国内やローカルでしか通用しないものは、意味をなさなくなる。

ぼくたちは、ぼくたちの「自分・自我」にとりついた「幻想」から(幾分かは)切り離され、より「身の丈」を意識する。

ぼくは、大学時代にニュージーランドに行った際には、「学歴」という幻想を、いったんとりはずしたかった。
「幻想の殻」を一枚でも二枚でも脱ぎさって、残るものを感覚し、見てみたかったのだ。


「途上国」で、国際協力・支援に現場でかかわっていたときは、支援する組織の一員・代表という社会的ステータスがあった。

しかし、ひとたび、西アフリカのシエラレオネの、はるか奥地にある村などに降り立つと、自分の「存在」が、不安定になるのを感じることになった。

それは、ある意味、「文明の機器」に拡張・拡大された「自分という存在」が、文明の機器の力を失い、幻想の殻がはがされたような感覚である。

東ティモールのコーヒー生産者たちが活動をする、山奥のコーヒー農園に行ったときも、同じように感じたものだ。

ぼくは、日々、パソコンで仕事をし、携帯電話(当時は時に衛星電話)を使い連絡をとり、車両で移動する。

それが、ひとたび、パソコンも、携帯電話も、車両も意味をなさないような、山奥のコーヒー農園に降りたつと、<自分という存在の身の丈>に向き合わされる。

ぼくから、パソコンや電話やカメラなどが取られてしまったら、ぼくにはいったい何ができるのだろう。

ぼくは、「生身の身体」として、そこに投げ出されてしまう。

目の前のコーヒー生産者の人たちは、コーヒー農園という自然の只中で、圧倒的な存在感を放っている。

現代のテクノロジーがなくても、人間としてのサバイバル能力、食べるものを栽培する能力、山をかけぬけていく力などに照らされ、人間としての存在の深さをたたえている。


メディア研究で有名なマーシャル・マクルーハンは、かつて、「テクノロジーやメディアは人間の身体の拡張である」ということを述べた。

近代は、そして現代は、この「拡張」を、絶えず推し進めている。
そして、この「拡張」は、自分という存在を、誇大視させる。

その誇大視された「自分」は、テクノロジーを(一時的に)奪われる体験のなかで、「誇大」を脱ぎ去りあるいははがされ、<身の丈>に向き合うことを余儀なくされる。
 

ぼくにとって、このような<身の丈>に向き合う体験は、とても貴重なことであったと思う。

ぼくは、ニュージーランドの山奥で、西アフリカのシエラレオネの奥地の村で、東ティモールのコーヒー農園で、そのような体験に出会い、体験を積み重ねてきた。

もちろん、テクノロジーから切り離されるのは一時的である。

シエラレオネや東ティモールの事務所に戻り、関係者と協議をして、ぼくはぼくのできることに最善を尽くし、ぼくの役割を果たす。

しかし、そのような「一時的な体験」(とその積み重ね)によって、ぼくは、経済力や社会的ステータスという表層の次元だけではなく、もっと深い次元において、いわば<自分という存在の身の丈>と向き合うことができたように、思う。

ぼくは、当時、テクノロジーを取られたら、何が自分に残るだろうかと考えさせられることになる。

そこで、ぼくが想起したのは、「考える力」であった。

ぼくは、この手からテクノロジーが取り去られても、シエラレオネの村で、東ティモールのコーヒー農園で、「考えること」ができる。

完璧な知識も情報も持ち合わせているわけではないけれど、今この状況を変えていくために状況を分析し、方策を考えることはできる。

「それって、やっぱり大切なことじゃないか」と、ぼくは自分自身に言い聞かせる。

海外、途上国、自然という環境において、ぼくたちの身体・身体感覚を拡張させる「テクノロジー」から切り離され、<身の丈>と向き合う経験のなかで、ぼくは「考える力」をあらためて発見する。


東ティモールを出て、香港に移り10年ほどが経過する。

そこで、ヘッセ著『シッダルタ』という古典作品を再度読みながら、この作品に触発されてやまない世界のトップパフォーマーたちに、ぼくは教えられる。

物語のなかで、物乞い同然の格好をした僧である主人公シッダルタは、道ゆきで出会う商人に「(何も所有しない)あなたが、私に何を与えてくれるのですか?」と尋ねられて、応える。

「私は考えることができる、待つことができる、そして断食ができる。」

所有という、自分を拡張するモノを失ったシッダルタが、自分の<身の丈>と向き合ってきたからこそ、生まれでた言葉である。
※ヘッセ『シッダルタ』については、別のブログで書いた。


ぼくは、20年以上前に読んだこの箇所を覚えていないけれど、生きてきた歳月のなかで、ようやく「体験」として、ぼくのなかを通過したのだと思う。

「私は考えることができる…」

テクノロジーがこれまでの歴史にないほどに進化を続ける現代において、新しいテクノロジーを活用しながらも、ぼくは、この基点に戻ってくる。