ぼくたちは「ゲームのルールと法則」を学ぶ。
そして、ゲームをプレイし、出来事を日々つくりだし、一喜一憂する。
でも、ここでは「ゲーム」のことではなく、「ゲーム盤」のことを書こうと思う。
人間社会という「ゲーム盤」のことである。
1) 「ゲーム」:「社会の科学」として学ぶ
ここでは、イメージとして、次の言葉を次のように考える。
「ゲーム」とは、社会、企業、ビジネス、キャリアなどのこと。
「ゲームのルールと法則」は、経済、金融、経営、法律、道徳・倫理などのことを、ここでは指す。
これらを、「社会の科学」として、ぼくたちは学ぶ。
他方、ゲームをプレイする人たちの心情などは、文学や哲学などとして現れ、ぼくたちは「人間の哲学」として、そのような世界に触れる。
これらの「ルールと法則」を学ぶことは、ゲームをプレイする上では、とても大切だ。
ゲームで「勝つこと」は、経済力を上げ、社会的なステータスを上げる。
社会も、世間も、学校も、両親も、(幸福な例外をのぞいて)「勝つこと」に向けたプログラムをつくり、助言を投げかけてくる。
「人間の哲学」などやっても仕事に就けないから、大学では経済学部や商学部など、「社会の科学」を学べと、「親身になって」言葉を投げかける。
(※今は「文系」ではなく「理系」へ、ということがいろいろと言われている。)
ぼく自身のことで言えば、大学で学ぶことを選ぶ際に「中国語学科」を選んだ。
中国語は、シンプルに分解すると「中国のこと+中国の言語」である。
シンプル化すると、「社会の科学」(中国の経済社会など)と「人間の哲学」(中国文学)である。
ぼくは単純に「外国語」を学びたいと思っていたところ、中国の経済発展を見るなかで「周り」が中国を勧め、ぼくは中国語を選択した。
それは今思うと、「社会の科学」と「人間の哲学」のどちらかを選択することの拒否だったのかもしれない。
その後、「社会の科学」と「人間の哲学」という分裂(と統合)に対する、もどかしい気持ちとモヤモヤ感は、社会学者・真木悠介の『現代社会の存立構造』を読んでいて、霧が晴れた。
(※このことについては、別途、書きたい。)
2) 「ゲーム盤」が気になって仕方がなかった
「ゲームのルールと法則」を学ぶことは、面白いし、役に立つ。
しかし、ぼくは「ゲーム盤」自体が、気になって仕方がなかった。
ゲーム、そのルールや法則だけでなく、ゲームを成り立たせている「前提」自体が気になったのだ。
「ゲームのルールと法則」をよく学んで、社会に出て、ゲームに勝っていけばよいというふうには、ぼくの場合ならなかった。
ぼくが「ゲーム盤」自体が気になって仕方なかったことの理由のひとつは、この「ゲーム盤」の上での「生きにくさ」であった。
ぼくの小さい頃から10代を生きてきたなかでの「息苦しさ」のようなものが、大学時代の「旅」後に、時代の「根源的な問い」を問う知性たちとの出会いのなかで、少しづつだけれど解き放たれてきた。
大学時代のアジアやニュージーランドへの「旅」で、例えば、ぼくは「これまでの遊びの貧しさ」のようなものを感じ、旅後に考えてきた。
(※「遊びの貧しさ」は、「遊び」といって出てくるのが、遊園地や映画やカラオケといった「すでに在る」ものだけであるということ。「在る」については下記。)
ぼくに「助言を与えてくれた知性」は、詩人の寺山修司、人類学者のレヴィー・ストロース、哲学者・社会評論家のイヴァン・イリッチであった。
「本来『家』とは『在る』ものではなく、『成る』ものです」(『家出のすすめ』角川文庫)と、寺山修司は言う。
この「在ると成る」という言葉を手がかりに、レヴィー・ストロースのいう「ゲームと構造」の箇所をぼくは読む。
…科学と同じく、ゲームは構造から出来事を作り出す。したがって競技が現在の工業社会において盛んであることは理解できる。それに対して、儀礼と神話は、出来事の集合を…分解したり組み立てなおしたりし、交互に目的となり手段となるような構造的配列を作り出そうとするのである。
レヴィー・ストロース『野生の思考』みすず書房
ぼくたちは、「在る」ところの場、言い換えれば用意されている「ゲーム盤」の上で、ゲームをし、出来事を作り出していく。
イヴァン・イリッチは、1970年の著書『脱学校の社会』で、制度という視点から、きりこんでいる。
…学校は、その構造がいくつかの段階を進級するような儀礼的ゲームとなっている…。…学校が人々に教育するもの、すなわち人々の血の中に入り、習慣となるものは、ほかならぬゲームそのものなのである。制度による世話を受けることの「終わりのない消費という神話」を社会のすべての人々が信じ込まされていく。
イヴァン・イリッチ『脱学校の社会』東京創元社
堀江貴文が著書『すべての教育は「洗脳」である』で展開している論点の一部は、すでに1960年代から1970年代に語られはじめていたことである。
この本が注目されたのは、堀江貴文の存在と共に、他方で、ようやく「大衆」が、信じ込んできたものに疑問を感じざるをえなくなったからである。
ちなみに、堀江貴文は、ゲームのプレイに長けていながら、「ゲーム盤」を取り変え、新たにつくっていく者である。
そして、更に付け加えれば、「遊び」をつくりだしていく者である。
ぼくが、日本の都会に住みながら感じていた「遊びの貧しさ」のようなものから自由であるのが、堀江貴文だ。
3)「ゲーム盤」が取って変わる時代への過渡期
「ゲーム盤」が取って変わる時代の過渡期に、ぼくが置かれてきたことも、ゲーム盤に惹かれた理由のひとつであった。
時代の背景としては、「ゲーム盤」自体が持続可能性をなくしつつあることだ(地球の環境や資源の問題、人びとの「内面」の問題など)。
そして、新たな「ゲーム盤」がつくられつつあること(IT技術のひらく可能性など)を、断片として、感じてきたからである。
そのような、社会と人の限界と、限界の先に開かれる可能性が、ぼくに「根源的な問い」を考えさせてきたのだ。
「社会の科学」としては、国や社会の「成長・発展」とは何か、「お金」とは何だろうか、資本主義とは何かなどの根源的な問いをぼくにつきつけてきた。
「人間の哲学」としては、ほんとうの幸せとは何だろうか、歓びをもって生きるにはどうしたらよいか、などという根源的な問いが、次々とやってくる。
そして、そんなときに、世界のさまざまな知性たちに、ぼくは助けられてきた。
「ゲーム盤」という言葉をここでは使っているけれど、最初から「ゲーム盤の全体像」が見えていたわけではない。
ゲーム盤の上で、「ゲーム」をプレイして出来事をつくりだしながら、しかし、「根源的な問い」に導かれながら「ゲーム盤」の全体像が結晶してきた。
もちろん、完全に「ゲーム盤の全体像」が見えているわけではないけれど、この20年の歳月のなかで、全体像はよりくっきりと、ぼくの前に見えている。
社会学者・見田宗介は、社会の構造変化と価値観の変化の間に「time lag」があることを語っている(見田宗介・大澤真幸『二千年紀の社会と思想』太田出版)。
社会の価値観の変化は、社会構造の変化に「遅れて」やってくる。
すでに現代という過渡期は、過渡期であるがゆえに、「価値観を変えてきている人」と「価値観が変わっていない人」に分かれている。
このような価値観の変化の「遅れ」がないように、社会を見据えておくこと。
そして、価値観の変化以前に、社会の構造そのもの(ゲーム盤)をつくるプロセスに「主体的」にかかわっていくこと。
そこに、ぼくの「ライフワーク」のひとつはある。