お笑い芸人であり絵本作家のキングコング西野が、「大停電の夜」のトラブルを見事に反転させて、人とのつながりを創出した。
ぼくはシンプルに、感動し、教えられ、考えさせられた。
2017年6月21日、日本の関西地方で、記録的な大雨が降った。
断線による停電のため新幹線が止まってしまい、乗客は、真っ暗で、冷房もトイレの水も止まってしまった車内に閉じ込められてしまったという。
不平不満、ため息やボヤキが聞こえる。
車掌は対応に追われている。
この殺伐な状況に出くわしたキングコング西野。
「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーとする西野は、最初、ギターを探すことにした。
彼は、彼のブログで、こう書いている。
不平不満を漏らすのではなく、「停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ」という決着が一番映画的だと思ったので、車内をウロウロ歩きまわりギターを探したが、結局、見当たらなかった。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
ギターを見つけることができなかった西野は、「何か面白い未来に繋がるネタはないものか」と目を凝らし、「車内販売」を見つける。
酒やツマミがいっぱいである。
そうして、西野は、「そこら辺に座っている乗客に声をかけ、皆で大宴会を決行」するのだ。
そのタイミングで電気は戻りつつも、東京まで、宴会を続けたという。
ぼくは、このニュースと西野のブログを見ながら、感動してしまった。
こんなポイントからである。
- 生きられる「言葉」:「トラブルは、映画のように片付ける」のモットーを自分の「道具箱」に収め、さっと取り出したこと。
- 「映画」という方法:「映画のように」という、未来の光景を、方法として使ったこと。
- 「人とのつながり」の創出:困難な状況を反転させ、知らない者同士のつながりをつくったこと。
1) 「トラブルは、映画のように片付ける」のモットー
自分の言葉・モットーを、きっちりと「道具箱」に収めている。
それは、ただの言葉ではなく、状況(トラブル)に応じて、常に取り出せるものだ。
取り出して、そのように、思考を働かせ、実際に動いていく。
生きられる言葉なのだ。
言葉「を」生きる、というよりは、言葉「をヒントに」生きている。
生きることありきである。
ぼくたちは、そのようにして言葉・モットーをもち、生きていくことができる。
2)「映画」という方法
「トラブルは、片付ける」ではなく、「映画のように」と付け加えている。
この「副詞」(「映画のように」)は、二つの点で、インパクトをもつ。
一つ目は、視野・視点を、変えてしまうこと。
西野が述べているように、「面白い未来」を呼び寄せる仕掛けだ。
二つ目は、映画の本質である「物語性」を、トラブル解決の方途にひきいれること。
西野は、その未来を、「『停電をくらった人達が、その環境を楽しんだ』という決着」として、想像する。
この「物語としての想像」が、ギター探索、そして「大宴会」へと道をひらくことになる。
「映画」は、Joseph Campbellが言う「Hero’s Journey」のように、その内に、困難と乗り越えとエンディングをもつ。
困難は「物語」を始動させる。
このように、西野は、トラブルを「映画のように」乗り越えていくというとき、そこに「物語」をひきいれている。
このことは、絵本作家である彼の資質と無縁ではない。
3)「人とのつながり」の創出
電気がついた後の車内で宴会はつづく。
東京までの道のりで、宴会に参加した人たちは、西野のところに戻ってきては「お礼」を伝えている。
西野は、前掲のブログで、最後にこんな感想を書いている。
なんだよ、チクショウ。人はこんなに温かい。
それもこれも、この大停電がなければ知ることができなかった。
困難を共有し、「この時間を良い思い出にしよう」と思ったから生まれた縁だ。
トラブルは捨てたもんじゃない。
文句で終わるなんてもったいない。
本来、繋がるハズがなかった人と繋がることができるチャンスだ。
キングコング西野「大停電の夜に」『オフィシャルダイアリー』
(※リンクはこちら。)
トラブルは人と人を「離してしまう」こともあるけれど、トラブルは「人と人を繋げる」契機とすることもできる。
大停電の困難を、映画のような物語を通じて、人のつながりをつくりだした西野に、そこにいた人たちはもちろんだと思うけれど、ぼくもたくさんのことを学んだ。
「映画の登場人物」は、決して、一人ではない。
そして、より本質的には、西野は、トラブルだけを映画のように乗り越えているのではない。
「生き方」そのものが「映画のよう」であるところに、西野の力はあると、ぼくは思う。
ぼくたちの生は、それぞれに「物語」なのだ。
「どのように生きる」かの、<「どのように」という副詞>に、生という物語の彩りが、賭けられている。
この状況の反転は、有名人であるキングコング西野だからできたのではないか、と言う人もいるだろう。
それは、正しくもあるし、まちがってもいる。
有名人という、「誰もが知っている人」を拠点として、知らない人たちが集うのは、知らない人たち同士が集うよりも容易である。
しかし、有名人全員が、このようにできるわけではない。
さらには、「トラブルは、映画のように片付ける」をモットーに、その場ですぐ実行するような西野だからこそ、実は今の(有名な)西野がある。
ところで、そもそもぼくは、「大停電の夜に」のニュースを、たまたま眼にした。
ぼくは、井伏鱒二の著作『黒い雨』に出てくる言葉を、見返していたところで、このニュースが眼に入った。
広島に原子爆弾が投下された後の人々の生活を描く『黒い雨』の一節に、ぼくは惹かれてきた。
…今までして来たことが飯事であったように思われて、今までの自分の生活も玩具の生活であったような気がした。
「どうせ何もかも飯事だ。だからこそ、却って熱意を籠めなくちゃいかんのだ。よく心得て置くことだ。決して投げだしてはいかんぞ。」
井伏鱒二『黒い雨』新潮文庫
大停電の新幹線で、多くの人たちは「投げだして」しまい、文句と苦情で「世界」を脱色してしまっていた。
西野は、決して投げださず、「どうしようもない」状況を、脱色ではなく「彩色の精神」によって、見事に反転させたのだ。
(飯事に)「熱意を籠める」ように、西野は、最悪な状況に「燃える」ことで、<停電>に、色を添えたのだ。
記録的大雨が降ったなかでの「大停電」をのりこえる西野は、たとえ「黒い雨」が降ったなかでの「最悪の状況」も、投げ出さずに、映画のようにのりこえるだろうと、ぼくは思う。