社会学者・見田宗介の1985年の「論壇時評」を読み返していて、「アグネス・チャン」について語られる箇所に眼がとまる。
アグネス・チャンが香港に生まれ今は日本にいて、ぼくは日本に生まれ今は香港にいるということも、気になる理由のひとつとしてある。
しかし、焦点は、アグネス・チャンの語る「言葉」であり、そこから見えることである。
アグネス・チャンの言葉でありながら、ぼくは、たくさんの「アグネス・チャン」がいただろうし、今もいるだろう、と思うところで、書きたいと思ったのだ。
「論壇時評」として、その元となったのは、雑誌『広告批評』(1985年3月号)における特集「女はなにを考えているか」であった。
アグネス・チャンは日本に来てスターになって、プロダクションから、きついことは言うな、はっきり意見を言うな、みんなに好かれねば困るからと言われる(同誌)。…
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
アグネス・チャンが日本で活動を始めたのは1970年前半のことである。
「きついことは言うな、はっきり意見を言うな」という指示には、いくつかのことが交差しているように見える。
ひとつには、「スター」という立場に置かれたことからくる、「みんなに好かれねば」という圧力である。
彼女に限らない人たちに向けられた圧力としての言葉であり、圧力としての言葉であった(である)。
このことが一つある。
そして、二つ目には、河合隼雄が「母性社会日本の病理」として日本社会を分析したように、「母性原理」が優位にはたらく日本社会の力学が交差してくる。
それは、母性原理のもとで「みんなが平等」という力学のなか、スターに限らず、社会の内部に身をおく人たちに向けられる。
また、香港を出身とする人物ということが、「日本社会」を逆照射する仕方で、照明をあてる。
「きついこと」「はっきりした意見」を生きることの作法とする「香港」という社会、そしてそこに生きる人たち(たくさんの「アグネス・チャン」)。
コミュニケーションの仕方のすれ違いがいっぱいにあっただろうと、香港に住むぼくは思う。
香港で仕事をすることになった日本の人たちのなかには、日本とは(コミュニケーションの仕方において)「逆転」する社会に生きる困難さにぶつかることがある。
例えば、「きついこと」や「はっきりした意見」を言われることで、戸惑いの気持ちを覚える。
あるいは、「はっきりした意見」や考えを伝えないことから、言いたいことがまったく伝わらない。
日々、このようなすれ違いが、あらゆるところで起きている。
それから、三つ目には、この論壇時評を書く見田宗介の念頭にあった、「虚構の時代」という時代性である。
アグネス・チャンは、(1985年に)このように語っている。
…「でも、いまは全然そうは思わない。百人に一人だって、自分のこと応援してくれるんだったらたいしたものですよね。はっきり言ったほうが応援しやすいと思う。あいまいな時代って、これから消えるような気がするんだけど。」
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
この発言がなされたときから30年以上が経過した現時点においては、「百人に一人の応援」の方向に時代は一方向にて進んできているけれど、「あいまいな時代」も消えずに残っている。
その二つの力線が、コミュニティや社会のあり方として、ときに平行し、ときに拮抗し、ときに相互に相入れずに存在している。
そして、「虚構の時代」は、その時代幅を長くしながら、今も延命している(例えば、「サブプライム」の問題の本質は、虚構の上に虚構をかさねていったものの瓦解である)。
「虚構の時代」への向き合い方ということでは、見田宗介は、つづけて、このように書いている。
…スターだからというのではなく、スターでさえというべきだろう。時代に作られる存在であることから、時代に対してまっすぐに立つ人間であることへの、ひとりの青年の自己解放の軌跡をそこにみることができる。
虚構にたいしてこのように同じく敏感でありながら、「私ね、真剣なんです。イヤぐらい真面目ですよ」というアグネスは、この特集の他の先端的な女たちとは、べつの方向に出口を求めているように思える。「新しい曲も、シンプルで前向きなラブ・ソング。いま、ようやくやろうとしてることが、全部同じ方向に向いてきたんです。」という彼女は、虚構をつきつめて逆手にとって自己を表現するというよりも、虚構のない世界をシンプルに希求している。クラシックなのだ。クラシックということは古いということではなく、時代をこえたものに根づこうとしていることだ。
見田宗介『白いお城と花咲く野原』(朝日新聞社)
ぼくは、「虚構をみずからの存在の技法」とするのではなく、虚構のかなたにある虚構のない世界を希求している。
時代をこえたものに根づくことを、生きている。
しかし、時代の「力学」の移行期において、また「虚構の時代」がつづくなかで、まだまだ壁にぶつかっては立ち上がることの連続である。