日本の外に初めて出たときもそうだったけれど、「海外に出ること」とは、自分を日本とは異なる「時間の流れ」にさらすことであった。
小さい頃から信じていた「ひとつの世界」のようなものが、実は「いろいろ」に現象するのだという感覚を、身体を通じて得ることは、ぼくにとってとても大きなことであった。
そして、今でも、例えば、ここ香港を一時的に離れると、それぞれの場所の「時間の流れ」に身を置きながら、そのような感覚を覚え、ときに異なる「時間の流れ」に身を置くことの大切さを思う。
自分は何をやってもだめだとか、自分は何も変えられないとか、自分の将来なんてないんだとか、自分が「煮詰まった経験」をするときは、異なる「時間の流れ」に身を置いてみる。
Aという場所があって、そのAがすべてだと思っていたら、いやBもCもあったという感覚は、人をー少なくとも、ぼく自身はということだけれどーを安心させるのだ。
「時間の流れ」を変えるということは、方法としては「空間の移動」である。
論理的には、大別すると、二つある。
- 社会(人)⇄自然
- 社会(人)⇄もうひとつの社会(人)
ひとつめは、「社会」から離れて、「自然」の流れに身をひたすことがある。
山登りや航海など、社会的な時間から離れ、自然の(時間の)流れのなかで、これまでいた社会的な時間が相対化される。
解剖学者の養老孟司は、「都会と田舎の参勤交代」(6ヶ月をそれぞれで過ごす)を日本で制度化すべきということを、真剣に語っているほどに、社会と自然の間の「行き来」は、生きることの大切な契機とすることができる。
ふたつめは、ひとつの社会を離れて、もうひとつの社会の流れに身をひたすことである。
同型の文化内(例えば、日本国内)での移動も、方法のひとつである。
しかし、「海外」、とくに文化の大きく異なる場所に身をひたすことで、相対性の幅が大きくなり、自分への影響もより大きくなる。
この文章の冒頭で述べたことは、ふたつめの内の「海外へ」という方法だ。
海外という異なる「時間の流れ」における時間とは、いわゆる時計的な「時間」ではない。
「時間の流れ」は、人びとが話す仕方、人びとがやりとりをする仕方、人びとの身振り、その集合的な社会の動き、そこの空気の流れなどの総体のようなものである。
海外であっても、都会と都会は似たような「時間の流れ」であったりするけれど、それでもそれぞれの場所の「時間の流れ」が否応なく流れている。
世界の「紛争地域」において、国際機関やNGOなどではたらく人たちは、一定期間はたらいたら、その地域の「外部」に出ることを制度・仕組みとしている。
「紛争地域」という過酷な生活において、知らず知らずのうちにためてしまっている「身体的・精神的ストレス」を、緩和したり取り除くことを目的としている。
このことは、異なる「時間の流れ」に身を置くことでもある。
ここでの「時間」は、「社会」と置き換えてもよいほどに概念上の射程をひろくして使っているけれど、この実践の影響力はとても大きい。
紛争地域の「内部」にいたときは気づこうにも気づけなかったストレスや過度な緊張が、「外部」に出ることによって相対化され、明確に感じるようになる。
「あぁ、ぼくは相当緊張して、相当に疲れていたんだな」と、感じることになるのだ。
紛争地域の内部から外部に出ることは少し極端な例であるかもしれないけれど、ぼくたちは、ひとつの社会の「外部」に出ることを方法とすることができる。
もうひとつの社会で、異なる「時間の流れ」に身をさらし、ひとつの社会ともうひとつの社会の相対性の只中で、凝固していた身体と精神がほぐれていく。
現代は、VR(ヴァーチャル・リアリティ)の発達を見ているけれど、VRの世界が、VRで違う場所に訪れる人たちに、どれほどまでに「時間の流れ」を変えることができるかどうかは、ぼくはわからない。
おそらく(あくまでもおそらくということだけれど)、実際に身体に蓄積された「経験」に応じて、VRが連れていってくれる世界の奥ゆきは変わってくるものと思われる。
その限定性のなかで、だから、実際に、例えば海外に出て、違う「時間の流れ」に身体をひたすという「体験」が大切であるように、ぼくは思う。
時計的な「時間」ではない、社会やコミュニティや環境などに内的に共有される<時間>は、それほどまでに深淵である。