観る「映画」を選ぶときにどのように選ぶかは、それぞれの人の自由だし、いろいろあってよいと思う。
ヒットしているから、人にすすめられたから、たまたま映画館の前で気になったからなど、実際にいろいろだ。
Star Warsのように、シリーズで見続けるということもある。
そんななかでも、「人」によって選ぶ映画というものがある。
例えば、スピルバーグやクリストファー・ノーランは観ることにしているなど、映画ディレクターで選ぶということもある。
トムハンクスなど、主演などの出演者によって選ぶ仕方もある。
あるいは、映画音楽、例えば、Hans Zimmerが音楽担当であれば観るということもあるかもしれない。
このように、「人」によって選ぶ映画というものがあり、それはやはり、とりわけ特別な歓びであったりする。
ぼくにとって、彼ら・彼女らのうちのひとりとして、インドの映画俳優・ディレクター・プロデューサーである「Aamir Khan」がいる。
はじめて観た彼の映画は、『3 Idiots』(2009年)であった。
映画の公開期間がとても短い、ここ香港で、(きっと記録的に)長い期間にわたって上映されていた映画であった。
映画のストーリーはもとより、Bollywoodのリズム、演技、面白さ、そして、それらをつきぬけて伝わってくる「社会的なメッセージ性」に、ぼくは完全に心をうばわれてしまった。
それから、彼のディレクターとしてのデビュー作品であり主演でもある映画『Taare Zameen Par』(2007年)に遡って、ぼくは観る。
失読症の子供と、Aamir Khan演じる美術の教師とのドラマにひきこまれ、そして「Aamir Khan」は完全にぼくのなかに刻まれることになった。
だから、Aamir Khan主演の映画『PK』(2014年)が公開されたときは、迷わず、ぼくは映画館に足を運ぶことになった。
地球に降り立った人間の姿のエイリアンを、Aamir Khanが演じた映画『PK』にも、やはり「Aamir Khan」が確かに刻まれていた。
このサイエンス・フィクション的なコメディーのなかにも、社会的なメッセージ性や生きることの本質が、きっちりと映画の素地をつくっている。
そして、映画『Dangal』が2016年に上映が開始され、ここ香港でも2017年8月から上映されている。
『Taare Zameen Par』も『3 Idiots』も『PK』も、普通の映画に比べ長く、150分から170分の上映時間であり、『Dangal』も同様に161分の上映時間である。
香港の批評家は『Dangal』は少し長く20分はカットしても物語的に問題ないと述べているけれど、ぼくはそうは思わない。
161分に、ドラマがつまっている。
Dangalとは「レスリング」のことであり、この映画は、インドの女性レスリングの実話にインスピレーションを得てつくられている。
レスリングの元ナショナル・チャンピオンであり、生活のために今は夢をあきらめた父親をAamir Khanが演じている。
夢をたくそうと「息子」を望んでいたが、授かったのはいずれも「娘たち」であった。
夢をあきらめかけていたが、ひょんな出来事を契機に、男性社会のインドであるにもかかわらず、娘たちに夢をたくし、レスリングを教えることから、物語は展開していく。
そこには、やはり、「Aamir Khan」なるものがあって、ぼくは楽しみと感動とともに、たくさんの学びを得た。
映画であっても、ミュージシャンであっても、作家であっても、「人」によって選ぶ作品を楽しむ歓びがある。
その「歓び」は、いろいろな理由で「惹きつけられる」という歓びである。
そして、「人」が、作品をつくるということの経験を通じて、「(何かを)乗り越えようとしている/乗り越えられようとしている」のであれば、ぼくたちは、そこからたくさんのことを学ぶことができる。
そこには、一緒に成長していくような感覚がある。
映画や、音楽や、文章を通じて、たしかに、そのような感覚を得る。
そのためには、日々の日常において、ぼく自身も学びと成長を生きていることが、前提条件のようにある。
映画や音楽や本といった作品を選ぶ際に、そのような「人」が自分のなかに刻まれていることは、生きていくことの歓びのひとつだ。
Aamir Khanは、映画『Dangal』の撮影において、レスリングをしていたころの「若い姿」と年を重ねていく「父親の姿」の二役を演じている。
前者は「引き締まった身体」であり、後者は「お腹がたるんでいる身体」である。
映画はほとんどのシーンが、後者は姿ですすんでいく。
この映画撮影のために、50歳を超えているAamir Khanは、両方の身体を実際につくる。
「お腹がたるんでいる身体」をつくり、それで撮影をまずひととおり終わらせる。
それから、確か半年ほどかけて「引き締まった身体」を死に物狂いでつくり、撮影にのぞんだ。
それは、この仕事にかける執念である。
そんな「仕事への姿勢」がのりうつったかのように、他のキャストたちも、レスリングというスポーツを自分にインストールしている。
ぼくのなかに、そのような「仕事への姿勢」がすみこんでいく。
だから、次も、「Aamir Khan」という人生の標識がぼくの前にあらわれたら、迷うことなく、ぼくはその標識の前でたちどまって、眼と耳をかたむける。
ぼくの耳には、映画『Dangal』の挿入歌のフレーズ、「Dangal、Dangal ♫」が鳴り響いている。
その響きを背景に、Aamir Khanの強いまなざしが、ぼくに投げかけられている。