2007年に、東ティモールから香港にうつってきて、はじめのころに思っていたこと。
飲食店の「座席」において、「一人」での来店を想定した座席が見つからなかったことである。
例えば、「一人」で座ることを想定した座席は、ひとつに「カウンター席」がある。
1994年から2002年にかけて、ぼくは東京や関東圏で生活をしながら、廉価な食事を提供するような飲食店にはだいたいカウンター席のようなところがあって、一人でも気軽に入ることができた。
香港の「都会」には、そのような席が普通にあると思っていたから、最初のうちは結構とまどったものだ。
「二人席」はもちろんあるけれど、それでも数は比較的限られ、そして混んでくると否応がなく「相席」として使われるのである(「相席」から考える人と社会も面白いものだが、またの機会に書きたいと思う)。
一番多かったのは「四人席」の形式であったと記憶している。
「四人席」に一人で座って食事となると、混んでくると、より高い確率で「相席」になるような状況であった。
日本では「相席」は一般的ではないから、当時も、そして今でも、違和感はぬぐいきれない。
そんな「情勢」が変わったのは、ここ5年くらいのことだ。
香港の飲食店の店舗が改装されると、そこには、一人客用にカウンター席がつくられ、また二人席も増えていた。
二人席は状況によって、つなげて四人席にもできる。
ちょうどその頃だったと思うのだけれど、一人で食事をする人たちが心なしか増えてきていた時期でもあった。
それまでは、家族やグループで食事をするのがデフォルト的であったのが、<情勢地図>が変遷をとげているようであった。
ぼくの勝手な感覚だけれど、それまでは一人で食事をすることが肩身の狭いような状況であった。
より正確には、「一人で食事をすること」はぼくにとっては全然問題ないのだけれど、一人を想定していないような座席配置の飲食店に入るのは、来てはいけないような感覚が湧き上がったりしたことが、最初のうちは時々だけれどあった。
それが、<情勢地図>の変遷のなかで、「普通のこと」のようにもなってきたのだ。
良い・悪いということは別にして。
その背景には、香港の経済成長もあるだろう。
リーマンショックのインパクトをはねのけるようにして、香港の経済は2008年頃から2015年ほどにかけて拡大してきた。
ぼくの「感覚」では、日本のバブル期のような状況であった。
それは、香港の「都市化」を進展させ、香港の中心部だけでなく、香港の中心から少し離れた地域の発展を進展させてきた。
さらには、「スマートフォン普及」という社会現象も接続している。
スマートフォンは、「一人であること」を推進するような側面もある。
スマートフォンを片手に動画などの世界に一人ではいっていくこともあれば、他方、スマートフォンを媒体にして、一人でいながらそこにはいない「誰か」とコミュニケーションをとるということもある。
このような経済社会の進展のなかで、人そのもの、それから人と人との関係も変遷をしてきたのだ。
社会の「内部」にいると、なかなか見えにくい事柄が、異文化という相対性の只中にいることで、逆に「見える」ようになることの例のひとつである。
しかし、表層において「見える」ことだけでなく、深い地層において、香港の「人と社会」がどのような基底的な変化を要請され、変遷し、さらにどこへ向かってゆくのかということについては、より精緻な情報収集と分析と仮説と観察が必要である。
ぼくのなかにはある程度考えていることがすでにあるけれど、そのことの言語化については時間もかかるため、今後の課題のひとつとしておきたい。