「プロフェッショナル」であること、またあり続けること。
そもそもプロフェッショナルであることとは何であるか。
この問いの後ろには、プロフェッショナルではない、つまり「アマチュア」であることとは何であるかという問いが並走している。
ここで書いていることは、単なる専門性(専門知識・技術)を有する職業ということではない。
ここで書こうとしていることは、広い意味での、プロフェッショナルとしてのあり方のことである。
プロフェッショナルと呼ばれる人たちはどういう人たちなのか。
ぼく自身のことで言えば、生きていくなかで、仕事をするなかで、「プロフェッショナル」であることを、ぼくは追い求めてきた。
「学問」においては、例えば、社会学者の見田宗介先生の著作群から、ぼくは「プロフェッショナル」ということを学んできた。
見田宗介先生の圧倒的な著作が、ぼくの目の前にある。
それらの「成果」、目指すもの・こと、理論、考えること・論理、文章の質・生きている文章、姿勢、研究のプロセスなどが、それらに凝縮されている。
「学問」という垣根を瓦解し、生という領域ににじみでてくる仕事に、ぼくは、言葉にならないほどに深い感銘を受けてきた。
そのような出会いの恩恵も受けて、国際支援のプロをめざし、ぼくは大学院で徹底的に学ぶ。
日本に本部をおく国際NGOで働くようになってからは、NGO職員として「プロフェッショナル」ということを、しばしば考えさせられた。
ぼくが働いていた2000年代初期においては、NGOは日本社会の中での認知がまだ十分でない時期であった。
とかく「ボランティア」と思われがちであった。
世界の現場に出ると、プロとしての仕事が期待され、求められる。
緊急支援・国際支援のプロとして、「プロフェッショナル」であることを、専門性という視点でもつきつけられてきた。
紛争後の状況などの現実に対峙しながら、そしてその現実のあまりの大きさ(測ることのできない大きさ)に圧倒されながら、である。
香港にうつって、人事労務コンサルタントとして仕事をするようになってから、上司がリスト化する「プロフェッショナルとアマチュアの違い」から学ぶ。
「プロは…する。アマチュアは…する/しない」という対比のなかで、プロフェッショナルのあり方を明確にしていく。
プロフェッショナルの定義を、項目・トピックごとに、より具体性におとしていく作業だ。
リストを見ながら、自分の仕事の仕方を見直すことにもなる。
また、香港人のお客様からのメール(英語)の言葉に、ときおり、ぼくは期待され、励まされ、気持ちをまっすぐに整えることになった。
「Thank you for your professional advice.」的な言葉がメールで、ぼくに送られる。
それは、アドバイスを求められる最初に、「前もって(in advance)」で、ぼくに向けられることもあれば、逆に、コンサルテーションが終わる際にいただく「お礼」として述べられることもあった。
この有難い言葉に、ぼくは姿勢を正し、励まされる。
しかし、他方で、その言葉は重くぼくにのしかかってくる。
コンサルタントに求められるレベルは果てしなく、その果てしない地平に、「プロフェッショナル」という言葉が重なったのだ。
ぼくはこのような時期に「野口晴哉とカザルス」に出会う。
野口晴哉の整体とカザルスの音楽。
それらは、果てしない地平の彼方にある<プロフェッショナルを超えるプロフェッショナル>のようなものとして、ある種の「完全性」のようなものとして、ぼくの前に屹立した。
そして、昨日、ダニエル・ピンクのメルマガにピックアップされた記事に、再び、「プロフェッショナルとアマチュアの違い」というテーマの前に連れ戻される。
記事のタイトルは、まさしく「The Difference Between Amateurs and Professionals」(アマチュアとプロフェッショナルの違い)。
20ほどの項目にわたり、「アマチュアは…である。プロフェッショナルは…である」のリストが書かれている。
例えば、こんな具合だ。
●Amateurs stop when they achieve something. Professionals understand that the initial achievement is just the beginning.
(アマチュアは何かを達成してストップしてしまう。プロフェッショナルは最初の達成は始まりにすぎないことを理解する。)
●Amateurs have a goal. Professionals have a process.
(アマチュアは目標をもつ。プロフェッショナルはプロセスをもつ。)
Farnam Street「The Difference Between Amateurs and Professionals」(※日本語訳はブログ著者:中島)
「プロフェッショナルはプロセスをもつ」ということは、ここでは、目標を<習慣化のプロセス>に変換させていくことである。
「習慣の力」を知るプロフェッショナルは、目標をもつだけでなく、それを「習慣」にするために行動していく。
このような項目と対比は、さまざまに書くことができる。
この記事は、そのことを指摘した上で、(抽象的に)落とし込んでいくと最終的に二つになることを書いている。
二つとは「Fear(恐れ)」と「Reality(リアリティ・現実)」だ。
記事はこんな風に説明している。
Amateurs believe that the world should work the way they want it to. Professionals realize that they have to work with the world as they find it. Amateurs are scared — scared to be vulnerable and honest with themselves. Professionals feel like they are capable of handling almost anything.
(アマチュアは世界が自分たちが望むように動くことを信じる。プロフェッショナルは自分たちが出会う/経験する世界と仕事をしなければいけないことを認識する。アマチュアは脆弱であることや自分自身に正直になることを恐れる。プロフェッショナルはほとんどすべてのことに対処できると感じる。)
Farnam Street「The Difference Between Amateurs and Professionals」(※日本語訳はブログ著者:中島)
アマチュアの行動やあり方は「恐れ」から出てくること、この視点はある種の真実を伝えているように、ぼくは思う。
「恐れ」を抱いてはいけないということではなく、また「恐れ」を契機としてはいけないのではなく、「恐れ」を行動やあり方が生まれる源泉としてはならないということ。
仕事をすることでも、人に接することでも、そして生きていくことにおいても、それはとても大切なことである。
この短い記事を読みながら、これまで「プロフェッショナル」を追い求めてきたことを思い出し、これからも「プロフェッショナル」を追い求めてゆくことを自分に言い聞かせる。
たとえ今日「プロフェッショナル」であったとしても、明日「プロフェッショナル」でいられるとは限らないから。