「テクノロジー=拡大された感覚器」と「視覚や聴覚の退化」。- teamLabの圧倒的なデジタルアートを見ながら考えていたこと。 / by Jun Nakajima


「teamLab」と呼ばれる、「デジタル社会の様々な分野のスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団」がある。

様々な分野のスペシャルストとは、プログラマ、エンジニア、CGアニメーター、絵師、数学者、建築家、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、編集者などのスペシャリストである。

アート・サイエンス・テクノロジー・クリエイティビティの境界を曖昧にしながら活動しているという。

グローバル展開をし、活動は世界におよんでいる。

とても興味深い「集団」つくりであり、「活動」である。

 

自然と一体化するデジタルアートは、圧巻である。

現在は、日本の佐賀、武雄にて「かみさまがすまう森のアート展」と名付けられたエキシビションを開催しているという。


Webリンク:
- teamLab ホームページ
 
teamLab
「かみさまがすまう森のアート展」
 

ホームページ上の動画でも、「動画」という限定性の中で、その一部を見ることができる。

その限定性の中においても、デジタルアートの繊細さと迫力、創造性が伝わってくる。

作品は、「増殖する声明の巨石」「かみさまの御前なる岩に憑依する滝」「岩割もみじと円相」「忘却の岩群」「岩壁の空書 連続する生命」「小舟と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング」などと、想像をわきたてる名前がつけられている。

自然の岩などにデジタルアートが重ねられることで、<自然を見る眼>を体験することができる。

自然の中に、人はこのようにして、<見えないものを見る>ことができる。

見えないものを独特の仕方で視覚化することで、それはぼくたちの自然の見方をひろげてくれる。

 

テクノロジーは、人間の「拡大された感覚器」(真木悠介)である(※メディア学のマクルーハンの理論を下敷きにしている)。

視覚も聴覚も、テクノロジーは、それら器官の機能を拡張・拡大させることで、人の生活を便利にしていく。

テレビや携帯電話によって、人は、遠くのものを見たり聞いたりすることができる。

今言われている「IoT」(Internet of Things)などの本質は、人間の「拡大された器官」である。

これからの時代、この拡張・拡大が、さらに加速していくことになる。

teamLabのデジタルアートは、デジタルアートという仕方で、想像力を視覚化していく。

新たな「世界」が、確実に、開かれつつある。

 

「拡大された感覚器」をもつ文明化された人間は、他方で、文明の発展のプロセスで、原生的な人類がもっていたという信じられないほどの視覚や聴覚などを喪っていく。

テレビや携帯電話、さらには次々に発明されていく「拡大された感覚器」があるから、それ自体どうということはない。

しかし、社会学者の真木悠介は、次のような見方を、ぼくたちに提示している。

 

 …けれどもこのような視野や聴覚の退化ということを、われわれをとりまく自然や宇宙にたいして、あるいは人間相互にたいして、われわれが喪ってきた多くの感覚の、氷山の一角かもしれないと考えてみることもできる。
 たとえばランダムに散乱する星の群れから、天空いっぱいにくっきりと構造化された星座と、その彩なす物語とを展開する古代の人びとの感性と理性は、どのような明晰さの諸次元をもっていたのか。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)

 

ぼくたちはさまざまなテクノロジーに助けられ、支えられ、楽しく生きているけれど、しかし、他方で、「退化してしまった視野や聴覚」で、自然や宇宙や人に、対している。

 

 自然とか宇宙のうごきにたいする感応の深さやゆたかさが(それに対応して存在する客観的世界のゆたかさー道具や道や集落や都市のありようと共に)そのいくつかの質的な次元において喪われたとき、きりつめられ貧困化された感性と理性とは、それなりで自己充足的な明瞭さの空間を張って安住し、通常は喪われた諸次元について思いをはせることもない。

真木悠介『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)

 

このことは、例えば、「くさい空間」に人は慣れると、そのくささを感じなくなってしまうような経験として、想像することができる。

ぼくの「退化してしまった視野や聴覚」のこと、この「退化してしまった視野や聴覚」を通じて見る自然や宇宙それから人との関係の次元を、ぼくは考えてしまう。

teamLabがつくるようなデジタルアートは、このような「退化してしまった視野」を、クリエイティブな仕方で思い出させてくれる。

人の創造性や想像性が無限の空間をひらいていくことを感じさせる。

しかし、アートは、それ自体では、退化した感覚器官を解き放つことはできない。

このことは、teamLabの責任ではもちろんなく、ぼくたち自身になげられたボールだ。

これからの時代、テクノロジーがさらに加速しながら進化をとげていくときに、そのベネフィットを享受していくとともに、ぼくたちはこの「退化してしまった視野や聴覚」を、別の方法で解き放っていくことで、ぼくたち人間にあらかじめ仕掛けられている感性や理性も味方にしていくことができる。

この方向性において、ぼくたちは、近代・現代の果実を得ながら、自然や人との豊饒な関係性を取り戻していくことができる。