9月に入っても、日中は30度を超え、夜も25度を下回らない香港。
亜熱帯に属するここ香港で、「秋」の訪れを感じるのは、ぼくにとって3つのことである。
一つ目は、香港らしいところから言うと、「月餅」が店頭に並びはじめるとき、秋の足音が街に聞こえてくる。
月餅は、旧暦8月15日にあたる「中秋節」に食す風習があり、中秋節から2ヶ月くらい前から、広告が貼られ、店頭に並べられる。
2017年は10月4日が「中秋節」にあたる。
月餅についてはまた別に書こうと思うが、毎年、種類が増え、多様化していて、店頭に並べられるタイミングも若干早めになってきている。
秋の訪れを感じさせることの二つ目は、中秋節に向けて、「提灯」がかかげられる風景である。
提灯は、ろうそくではなく、現代では電燈によって光が灯される。
街や住まいの敷地などに、提灯がかかげられ、秋がまた一歩、歩みをよせる。
中秋節の当日には、子供たちは、いろいろなキャラクターや動物の提灯を手に、月が光を届ける屋外ですごす。
都会の生活の中にも、伝統と文化が根をはっている。
それから、三つ目は、「とんぼ」たちが、悠然と飛んでゆく姿である。
散歩の道すがら、あるいはジョギングの最中に、とんぼたちに、ぼくは出くわすことになる。
外は夏日に彩られながら、その中を、とんぼたちが現れる。
とんぼは、秋が近いことを、ぼくに知らせてくれる。
香港は四季の「段差」がそれほど大きくなく、夏日がそのまま冬に変わっていくようなところがあり、香港の秋は束の間の時間のように感じられる。
都会の生活は、さらに、季節の姿を見えなくさせる。
そのような中で、月餅、提灯、とんぼたちは、ぼくに「秋」の訪れを感じさせてくれる。
香港の「秋」を迎えるのも、今年で11回目である。
外部的な視点で見ていたこれらの風景が、いつしか、ぼくの生活の一部として、ぼくの中に内在している。
今年の中秋節に、月はその美しい姿で、どこまでも透き通った月光で香港を照らし出してくれるだろうか。
昨日20日は新月であった。
これから中秋節に向かって、月はゆっくりと、美しい姿を整え、光を宿してゆく。
月餅と提灯ととんぼも、中秋節に向けて、香港に彩りを与えてくれる。
近代化が透徹する現代社会であっても、これらの彩りはその灯を完全に消すことなく、ぼくたちの社会と人に生きている。