片岡鶴太郎(肩書きはタレント・俳優・画家・書家・ヨーギなど)は、「125歳まで生きること」を目標のひとつとしている。
著作『50代から本気で遊べば人生は愉しくなる』(SB新書)で、朝(夜中)に起きてから6時間かけて、一日をはじめる「準備」をする様子が書かれている。
ヨガにはじまり、瞑想、それから2時間かけての食事(一日一食)と続く。
その片岡鶴太郎が「125歳まで生きること」を目標としていることを公言している。
他方で、昨年に出版されたLynda Gratton & Andrew Scottの著書『The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity』(日本語訳『LIFE SHIFT(ライフシフト)』)が、読者を獲得し、メディアでも取り上げられてきたことで、「100年時代」というキーワードが日本では一般的に使われ始めている。
平均余命のトップ1・2を日本と分かち合う、ここ香港では、「100年時代」的なキーワードは特に一般化されてはいないようだ。
日本政府の資料や香港政府の資料などを見ると、2060年予測には、平均寿命や平均余命において「90歳代」(女性)の数値が現れる。
これまでの「最高年齢」をネット検索していると、122歳という方がいらっしゃったりする。
その他、人間は何歳まで生物学的に生きることができるのか、という記事やブログが、ネット検索でもいろいろにひっかかってくる。
遺伝子の視点なども含め、いろいろな説があるようだ。
片岡鶴太郎が公言する「125歳の目標」は、とんでもない数値目標ということでもなさそうだ。
だから、ぼくも「100年時代」だから「100歳」とはせずに、片岡鶴太郎式に数値目標を上げることにした。
現状は、125歳に3歳足して、「128歳」というように、ぼくは「人生の時間軸」を切り拓くことにした。
目標を大切にしながらも、その道ゆきを楽しむものとしての目標数値である。
何よりも、そのように設定したときの「自分の気づき」や思考の仕方、それから日々の生き方(実践)を大切にするために、ぼくは「人生の時間軸」を引き伸ばしてみることにした。
別に、125歳や128歳を勧めるわけではないけれど、思考実験として試すことは、誰でもできる。
片岡鶴太郎式に、例えば「125歳まで生きる」としたら、じぶんは、日々どのように生きていくだろうか、と。
そのときに引き入れておくべき「補助線」は、「健康寿命」である。
「健康寿命」とは、健康的に日常生活をおくることのできる期間のことである。
ぼくは、寿命と健康寿命が重なるようにして、考えてみる。
40歳を超えたぼくとしては、80年以上をどのように健康的に生きていくことができるかと、じぶんに問うことである。
ぼくは、たくさんの「気づき」を得ることになる。
ひとつには、やはり、じぶんの「思い込み」である。
ぼくは、小さいころから漠然と、平均寿命といわれる80歳くらいまで生きるという「思い込み」の中で、人生を組み立て、生きてきたことである。
40歳は人生の「折り返し地点」などと、じぶんの身体に相談もせず、じぶん勝手に思ったりしたことだ。
その考え方と思い込みの中で、じぶん(じぶんの身体)を大切にして来なかったようなところが、128歳まで生きると決めてから、より明確に「見えてくる」ようになる。
人は、この話題になると、二者択一的な議論を展開しがちだ。
- 太く短い人生
- 細く長い人生
人は本来の「生」を、このように「狭い議論」の中におしこめてしまう。
「じぶんは長生きするつもりはなく、太く短い人生でいいんだ」と、二者択一的な思考の中で、「選択」してしまう。
生きることは「選択」である。
かつては「太く短い人生」に憧れたぼくは、今でこそ、「太く(深く)長い人生」もあるという確信の中で、そのような人生を生きたいと思う。
ただ「選択」するところから、「生」は本来の豊饒さを開いていく。
ぼくは、たくさんの本を読みたいし、たくさんのこともしたいし、火星に移住する人たちと同時代を生きたいし、人工知能が生活にとけこんだ社会も生きてみたい。
近代・現代の後の「次なる時代」を構想し、その「次なる時代」へつながる橋渡しに生き、「次なる時代」を生きたい。
「125歳まで生きるために」という思考とそのような生き方の選択は、何よりも、「じぶんを大切にすること」への思考と実践へと、じぶんを開いていくことの戦略と戦術である。
「じぶんを大切にすること」で、じぶんがもつギフトをもっと他者に与えられることへと、じぶんを開いてゆく。
「他者」は、同時代に生きる人たち、子供たち、将来に生まれでてくる人たち、それからこの地球の自然や動物や生物にまで射程がひらかれる。
「125歳」というはるか先を見すえたはずなのに、視点と実践はいつのまにか、「今、ここ」にそそがれていることに、ぼく(たち)は気づく。
「今、ここ」のじぶんや他者への暖かく冷静な心と行動が、「125歳」までの豊饒な道ゆきをつくりだしていくのだから。