「能率」か「情緒」か?「むずかしい仕事」と「地域の問題」において。- 「日本人の意識」調査の結果から。 / by Jun Nakajima


「『能率』か『情緒』か?」などのような問いに対する日本人の考え方と考え方の変容について、統計学的に、客観的な数字で見ることのできる資料として、NHK放送文化研究所の「日本人の意識」調査がある。

調査は1973年から5年ごとに行われ、日本人の生活や社会についての意見の動きを捉えることを目的としている。

最新の調査は、2013年に行われている。

日本の国外(海外)で15年にわたり生活をし、働いてきた中で、「日本人の意識」や考え方と、異国・異文化における人々の意識や考え方との<間>におかれながら、いろいろと問題に直面し、考えさせられてもきた。

そのような問題意識で、「日本人の意識」調査のデータを見ていると、とても興味深いことばかりだ。

海外で(もちろん日本国内でも)よりよく生きて、よりよく働くためにも、「気づき」を得て、日々に生かしていくことが大切だ。

その「気づき」のためにも、調査結果のデータはたくさんのことを、客観的な数値で見せてくれる。

 

「能率・情緒」という意識と考え方について、「仕事」と「隣近所」という場に関する設問を見ることにする。

 

能率・情緒(仕事の相手)
第16問 
かりにあなたが、リストにあげた甲、乙いずれかの人と組んで仕事をするとします。
その仕事がかなりむずかしく、しかも長期間にわたる場合、あなたはどちらの人を選びたいと思いますか。
甲:多少つきあいにくいが、能力のすぐれた人
乙:多少能力は劣るが、人柄のよい人

NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要

 

これまで行われた9回の調査の内、ここでは1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。

  1. 甲の人を選ぶ(能率):26.9%(1973), 24.6%(1993), 27.0%(2013)
  2. 乙の人を選ぶ(情緒):68.0%(1973), 70.8%(1993), 70.3%(2013)
  3. わからない、無回答等:5.0%(1973), 4.6%(1993), 2.7%(2013)

むずかしい問題に向かい中長期にわたって一緒に仕事をする相手を選ぶ際に、能率よりも「情緒」を選ぶ人が多いことは、推測の域を超えるところではない。

ただし、それでもおどろくのは、第一に、情緒を選ぶ人が70%という高い数値であり、それから第二に、この40年間の推移において、ほとんど数値が動かないことである。

一貫して高い数値を維持し、2013年という最近においても、その数値の水準が維持され続けていることである。

むずかしい仕事の乗り越えを、仕事そのものの解決というより、「人間関係」にたくしているように(あるいは人間関係に解消してしまうように)みえる。

例えば、香港という「能率」を重視する社会の中で、香港的な能率と日本的な情緒という仕事の仕方のようなところで、異文化のズレがさまざまな事象の中に見られる。

このトピックはここから深く分析していくことも可能だけれど、ここでは立ち入らず、次の「地域・隣近所」における「能率・情緒」を見てみる。

 

能率・情緒(会合)
第32問 
かりに、この地域に起きた問題を話し合うために、隣近所の人が10人程度集まったとします。
その場合、会合の進め方としては、リストにある甲、乙どちらがよいと思いますか。
甲:世間話などをまじえながら、時間がかかってもなごやかに話をすすめる
乙:むだな話を抜きにして、てきぱきと手ぎわよくみんなの意見をまとめる     

NHK放送文化研究所「日本人の意識」調査(2013年)結果の概要

 

ここでも、前の設問と同じように、1973年・1993年・2013年のデータを共有しておくと次のようになる。

  1. 甲の人を選ぶ(情緒):44.5%(1973), 50.9%(1993), 54.8%(2013)
  2. 乙の人を選ぶ(能率):51.7%(1973), 44.6%(1993), 42.5%(2013)
  3. わからない、無回答等:3.8%(1973), 4.5%(1993), 2.7%(2013)

「仕事の相手」の設問とは、場(関わり方)の設定、時間(短期、長期)の設定などが異なるが、それでも興味深いデータを見ることができる。

第一に、「能率」を選ぶ人が多いこと、第二に、1973年時点では「能率」を選択する人の方が多かったこと、さらに第三に、1973年以後徐々に「情緒」の数値の方が大きくなっていることである。

1973年の数値の背景としては、「隣近所」というコミュニティの「つながり」が醸成されていたこと、あるいは逆に「つながり」がなかったけれど見えない信頼感のようなものが形成されやすい場であったのかもしれない。

「情緒」が醸成されている/醸成されやすい環境で、むしろ「能率」に目が向けられる。

あるいは、日本社会の「合理化」という近代化の動力におされる形で、社会のすみずみまで、「能率」が貫徹されていく過程であったのかもしれない。

1973年以降は、今度は、日本社会における共同体と家族の変容(あるいは解体)の中で、「つながり」の細い糸を巻いては強くするように、「情緒」を大切にしているように見える。

あるいは、社会における合理化の貫徹の中で、また311などを契機としていく中で、違うところに価値を見出す人たちの出現を表しているのかもしれない。

 

調査では、甲・乙という設問のあり方だけれど、現実はそれほど単純ではない。

能率も大切だし、情緒も大切だ。

能率か情緒かに関する抽象的な議論にはあまり意味がない。

日々の仕事やコミュニティにおける問題・課題の解決では、双方が求められ、日々の具体性の中で双方を駆使していく必要がある。

そのことを認識しながらも、しかし、意識の底辺における考え方や感じ方が、問題・課題解決から人や組織を遠ざけることもある。

異文化の中では、それが「先鋭化」しがちだ。

その一歩引いた視点の中で、「気づき」を土台に、仕事やコミュニティでの人との関わり方を考え、生きていくことが、ぼくたちをより広い世界に解き放ってくれる。