「上機嫌でいること」の効用。- 「危機的局面であるほど上機嫌であれ」(内田樹)。 / by Jun Nakajima

「上機嫌でいること」を、経済学者アマルティア・センの方法論のひとつである「固有的 intrinsic - 道具的 instrumental」の両側面からのアプローチ、つまり「それ自体(の意味)」と「効用・手段」という視点で見れば、「それ自体」が歓びであることであり、また「効用・手段」としても役に立つものである。

ぼくたちは、何かの物事を考えるときに、「(手段として)何かの役に立つ」という考えかたに、ずいぶんひたってしまっている(よくもわるくも)。

「それって、何かの意味があるのですか?」という質問(詰問?)は、「それをすることで、何か得するんですか?」という、「道具的(手段的) instrumental」な質問である。

じぶんにとって「得」にならないんであればしない(したくない)、という前提がひそんでいる。

でも、それほどにそのような考えかたに「ひたっている」からこそ、逆に、人を説得するときには「これはこういう効果があるんですよ」という話しかたが、それこそ、効果を発揮する、という世界にぼくたちはいる。


「上機嫌でいること」は、「それ自体」で歓びであることだから、「幸せ」になりたいと思う人たちにとってそれだけで十分であり、これ以上の説明は必要ではないという見方もあるけれど、現実には、「上機嫌でいること」の効果や利得などの道具的・手段的側面を強調しなければならなかったりする。

別の視点から見れば、「上機嫌でいること」が、なかなかむずかしい世界にぼくたちは生きているということでもある。

だからといって、「上機嫌」でいることができないことについて、外部にひろがる「世界」だけを非難しても生産的ではないし、じぶんもいっそう苦しくなる(この言い方も「道具的・手段的」な言い方だ。「非難すること」の効用・効果でもって、そのことの是非を考えている)。

また、そもそも、非難したり、じぶんが苦しくなるのは、「じぶんの内面」にその根拠をもっているということもある(外部を非難することは、じぶんが抑圧している感情などを外部に「敵」として投影し、その敵目掛けて非難するという倒錯した状況であったりする)。

そのような事情もあるなかで、「上機嫌でいること」がさらっとできてしまう人はともかく、そこにむずかしさを感じてしまう人にとっては、その効用・効果を確認することは、「上機嫌でいること」へとひらかれていくためには、大切なことだったりする。

また順序を逆にして、たとえば、じぶんの「知的身体的なパフォーマンスを最大化するためにはどうしたらよいか」という問いから導き出される仕方で、「上機嫌でいること」が取り出されることもある。

思想家・武道家の内田樹は、そのような問いを設定して、つぎのように書いている。

 それは「上機嫌でいる」ということです。にこやかに微笑んでいる状態が、目の前にある現実をオープンマインドでありのままに受け容れる開放的な状態、それが一番頭の回転がよくなるときなんです。…悲しんだり、怒ったり、恨んだり、焦ったり、というような精神状態では知的なパフォーマンスは向上しない。いつもと同じくらいまでは頭が働くかも知れないけれど、感情的になっている限り、とくにネガティブな感情にとらえられている限り、自分の限界を超えて頭が回転するということは起こりません。

内田樹『最終講義 生き延びるための七講』文春文庫


ここでは「危機的局面」が想定されている。

危機的局面にぶつかったとき、人は、頭の回転を最高度までに上げていかなければ、その状況に対処できなかったりする。

内田樹の説明のなかで繰り返しておきたいところは、悲しんだり、怒ったり、恨んだり、焦ったりという精神状態では、いつもと同じくらいまでは頭が働くかも知れない「けれど」、「自分の限界を超えて」頭が回転するということは起こらないということである(原書では「傍点」がふられている)。

危機的局面では、いつもと同じでは「局面」が乗り越えられないかもしれない。


(今はいたって平和な)東ティモールで、ぼくはかつて、銃撃戦にまきこまれたことがある。

翌日には国外退去することになる「危機的局面」において、ぼくは、不思議と、ネガティブな感情は(わきおこっても)持続することなく、いわば「ゾーン」に入ったような感覚で、頭が回転していた。

「上機嫌」という状態ではなかったけれど、ぼくの知的身体は「パフォーマンス」を上げるための叡智を総動員していたのだろう。


内田樹は、つづけて、つぎのように書いている。


 真に危機的な状況に投じられ、自分の知的ポテンシャルを総動員しなければ生き延びられないというところまで追い詰められたら、人間はにっこり笑うはずなんです。それが一番頭の回転がよくなる状態だから。上機嫌になる、オープンマインドになるというのは精神論的な教訓じゃないんです。追い詰められた生物が採用する、生き延びるための必死の戦略なんです。

内田樹『最終講義 生き延びるための七講』文春文庫


このことは、「一人の人間」としても、あるいはチームや組織などの「集団」としても機能するものである。


「危機的局面であるほど上機嫌であれ」。


ぼくたちが生きてゆくための、方法のひとつである。