ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)の名盤『ペット・サウンズ』(Pet Sounds)をきちんと聴こうと思ったのは、10年ほど前のこと(つまり、2007年・2008年頃のこと)になる。
それまでにも、ビーチ・ボーイズの音楽は聴いていたし、また名盤『ペット・サウンズ』の存在も知っていた。
それだけでなく、高校時代には、バンドで、ビーチ・ボーイズの曲を演奏していたこともあった。
けれども、1990年代に大学に通っていたころ、ぼくはビーチ・ボーイズではなく、ビートルズに「はまって」いて、ビーチ・ボーイズは他に「はまって」いたオールディーズという括りのなかでの、ひとつのバンドであった。
2007年にぼくは香港に移り、そこで、村上春樹と和田誠による『村上ソングズ』(中央公論新社)という本をひらき、そこに収められた最初の曲として、「ビーチボーイズの伝説のアルバム『ペット・サウンズ』に収められたとびっきり美しい曲」(村上春樹)に出会う。
ポール・マッカートニーが「実に実に偉大な曲だ」と語った、「God Only Knows」(「神さましか知らない」)である。
この曲が収められている『ペット・サウンズ』をきちんと聴いてみようと思ったのは、その頃のことであった。
時期をほぼ同じくして、村上春樹が、ジム・フジーリ(Jim Fusilli)の著作『Pet Sounds』を翻訳し、その翻訳書を新潮社から出版していて、ぼくは、関心の流れから、名盤『ペット・サウンズ』と共に、この本も手にしたのであった。
それから、今に至るまで、この本をきちんと読まずにきてしまっていたのだけれど、今になって読んでみて、いっそう楽しむことができたように思う。
『ペット・サウンズ』そのものに光をあてていること自体関心をよぶ本であり、内容も、そのアルバムの素晴らしさと意義、曲の詳細解説、またブライアン・ウィルソンの人生などを、ジム・フジーリの生ともときおり交差させながら語り、興味深いものとなっている。
この本のなかでも、「God Only Knows」(「神さましか知らない」)は、本の後半、終盤に向かうところの「特別な位置」に置かれている(実際は、アルバムの順序に合わせた形ではあるのだが、「特別な位置」のように見える)。
そのあたりから、ジム・フジーリの『ペット・サウンズ』が、村上春樹の『ペット・サウンズ』のようにも聞こえてくるから不思議だ。
翻訳において村上春樹本人は逐語訳的な翻訳を心がけているようで、自身もあまりよく分からないというけれど、この本でも「村上春樹」のリズムと文体がところどころに刻印されている。
それが、ぼくの感覚では、終盤になって、より前面に(落ち着いた情熱とともに)押しだされてくるように見える。
翻訳書の本の「帯」には、「村上春樹 x ブライアン・ウィルソン」と大きく書かれているけれど、それが本を売るための文句でありながら、ある意味で「ほんとうのこと」でもあるところに、この本はあるようだ。
そのことは、翻訳という作業には抜け出せないものとしてあることだから特に気にするものではないけれど、むしろ『ペット・サウンズ』という世界が、それを聴く者たちを、しずかな情熱と心の揺れのなかになげこむことの作用でもあるように、ぼくは感じたりする。
その『ペット・サウンズ』について、ジム・フジーリは、たとえば、つぎのように書いている。
ニック・コーンというライターは『ペット・サウンズ』のことを「幸福についての哀しい歌の集まり」と呼んだ。この名作アルバムをこれほど短く的確に表した言葉はほかに見当たらないはずだ。ただし「素敵じゃないか」とか「ヒア・トゥデイ」を聴いたあとでは、あなたはそれを「哀しみについての幸福な歌の集まり」と呼ぶことになる。…
ジム・フジーリ『ペット・サウンズ』村上春樹訳(新潮社、2008年)
「幸福についての哀しい歌の集まり」という呼び方、あるいは「哀しみについての幸福な歌の集まり」という呼び方の、その的確な言葉に、ぼくは感心してしまう。
けれども、『ペット・サウンズ』には、「短く的確に表した言葉」をどうしても超え出てしまうようなところがあるのであり、だからこそ、ジム・フジーリは、この名盤を語るのに、一冊書いてしまったのだとも言える。
この本の「訳者あとがき」で、村上春樹が書くように、『ペット・サウンズ』は、その再評価の流れのなかで、若いミュージシャンたちが「アクチュアルな古典」(村上春樹)として聴くようになった作品である。
そのことばを読んで、ぼくは納得してしまう。
『ペット・サウンズ』は、「古典」であるのだということを。
「古典」の作品たちは、音楽であろうが文学であろうが科学であろうが、「短く的確に表した言葉」でいろいろに呼ばれるのだけれども、どうしても、その狭い呼び名を超え出てしまう仕方で、それらを「きちんと」聴く者・読む者たちに現れるものだ。
きちんと聴こうと『ペット・サウンズ』のCDを購入し、またジム・フジーリの著作『ペット・サウンズ』を手にしてから、その世界にまるで呼応するかのように、「ビーチ・ボーイズ」が、ぼくの世界に現れてくる。
2012年、結成50周年記念として再集結したビーチ・ボーイズは、(1960年代半ばからツアーに参加しなくなった)ブライアン・ウィルソンと共にここ香港にもやってきて、「God Only Knows」(「神さましか知らない」)を歌い、演奏した。
それから数年後、今度は、ブライアン・ウィルソンは参加せず、他のメンバーたちが「ビーチ・ボーイズ」としてやってきて、やはり「ビーチ・ボーイズ」を歌い、演奏した。
また、ブライアン・ウィルソンの半生を描いた映画も公開され、ブライアン・ウィルソンの「苦悩」を、映画を通して知ることができた。
そうして、ぼくはようやく、このジム・フジーリの著作『ペット・サウンズ』に正面から向かうことになり、ジム・フジーリによる『ペット・サウンズ』という名盤の「古典解釈」に耳を傾けている。
その解釈はまた、古典としての名盤『ペット・サウンズ』を楽しむための、聴き方となっていく。