「香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは」とつぶやく糸井重里さんの文章は、「天は自ら助くるものを助く」ということばに導かれながら、「天は自ら助くるものを助く」の、いわば<変奏曲>を奏でています。
「天は自ら助くるものを助く」ということばが「よくできたことば」であること、つまり「大人」が納得するようなことばであることを確認したうえで、糸井重里さんの<ことばの磁場>が徐々に乱れはじめ、音楽の調べが転調してゆくように、文章の色あいが変わっていきます。
そうして、シンバルの音が高らかに鳴りひびくかのように「かくして」という言葉がおかれ、変奏曲を奏ではじめるのです。
かくして、大人を長年やってきた大人は、こんなふうに言い換えることになる。「天は自らを助くるものを助くのだが、扉をノックする程度のものを助くることもあるし、よくよく考えてみれば、自らを助けるものを助けないことだってしょっちゅうあるし、結局は好きなようにしなさい」と。ずいぶんと平らかな、なにも言ってないに等しい文、ここに流れ着いてしまうのであります。しかし、いちばんほんとうなのは、こっちです。
2018年11月14日「今日のダーリン(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)」『ほぼ日刊イトイ新聞』
「大人を長年やってきた大人」である糸井重里さんの経験と思考の地層をいくどもいくども通過しながら発せられたことばであるように、「大人をそこそこの年数やってきた大人」であるぼくは、このことばを読みながら、やはり思うわけです。
こうして、サミュエル・スマイルズ著『Self-Help』の冒頭に堂々とあらわれる「天は自ら助くるものを助く」という言葉の<変奏曲>が、ぼくの耳には心地よくきこえてくるのです。
なお、ぼくの<変奏曲>は、「天は自ら助くるものを助く」の「自ら」に照準をあわせながら、「自ら」ということ事態を解体し再構成する方向にすすんでゆくのですが、ここではそこに立ち入らず、ひとまず「自ら」をカッコでくくり、「天は『自ら』助くるものを助く」とだけ、書いておこうと思います。
それはそれとして、糸井さんはさらに、つぎのように語ります。
ただ、ここに流れ着いてしまったら、もうウケない。ここまでの当たり前は価値を持たないし、残念ながら、きみ、モテたりもしないのですよ。だってなぁ、なにも言ってないにひとしいのだから。でも、でもね、最後にうっかりを装って付け加えた「結局は、好きなようにしなさい」の部分は、平凡をくぐり抜けた強気のメッセージではあります。香港のホテルで、なに考えてるんだか、おれは。
2018年11月14日「今日のダーリン(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)」『ほぼ日刊イトイ新聞』
その「平凡をくぐり抜けた強気のメッセージ」を、ぼくの胸元まっしぐらに投げられたボールをうけるようにして、ぼくはうけとるのであります。
ここ「香港」で、この香港の磁場のなかで、あれやこれや「なに考えてるんだか」の思考を、糸井さんには楽しんでいっていただきたいと、勝手に思うところです。
ところで、つけくわえておきたいのは、「天は自ら助くるものを助く」を説く、サミュエル・スマイルズの『Self-Help』が明治時代初期に出版されたときの邦題『西国立志編』のうちに、社会学者の見田宗介先生は、日本近代化の<精神>としての「立身出世主義」を読みとっていることです。
民間における福沢諭吉の『学問のすゝめ』、中村正直による『西国立志編』のベストセラーも、このような書を無数の儀本、異本をよぶまでに競って受け入れた精神の風土にまず注目しなければならないだろう。「原名自助論」とその副題にあるごとく“Self-Help”が「西国立志編」なる訳題で売られたことが重要である。
由来日本の相次ぐ世代の青少年は、教師からも親からも世論指導者たちからも、いわば競争的上昇の理想をたえず鼓舞されてきた。見田宗介「「立身出世主義」の構造ー日本近代化の<精神>」『定本 見田宗介著作集Ⅲ』岩波書店
今では「自助論」として売られている著作が、そのはじまりにおいて「立志編」として、日本の近代化を支える精神たちとともに歩まれていたわけです。
その後の日本は、近代化をすすめ、近代化をなしとげてゆくなかで、「立身出世」ということが、社会構造的にも、また個人的な目標としても、意味を喪失してくずれてゆくことになるのですが、それでも、「天は自ら助くるものを助く」の精神は、別の文脈のなかで生きのこっているのが現代日本だと、ぼくは思います。
新たに更新された文脈は、どこまでもつづく(かにみえる)経済成長神話を身にまとい、個々の人たちの「競争的上昇の理想」をそのシステムに組みこみながら、「天は自ら助くるものを助く」の言葉の意味合いを、イデオロギー的にせばめてしまうように見えます。
「大人を長年やってきた大人」である糸井重里さんは、そのようなイデオロギー的な装束を、彼の経験と思考と行動のうちに徐々にはぎとりながら、「結局は、好きなようにしなさい」という強気のメッセージにたどりついたのだ、ということでもあると思います。
糸井さんは「平凡をくぐり抜けた…」というように、ぼくたちの生活の「平凡」のなかに、ぼくたちが知らない/気づかないうちにある種のイデオロギー性が侵入しているわけで、糸井さんは意識的にそこに距離をつくりながら、やがて、「結局は、好きなようにしなさい」という場所に降りたったのです。
そのように降りたった場所もやはり「平凡」であるのかもしれないけれど、そこは以前の「平凡」とは異なる<平凡さ>の風にふかれているところだと、ぼくは思っています。