香港で、「(家で)冷房を使用しない生活」をしながら。- なるべく自然な風に身体をひたして。 / by Jun Nakajima


香港は朝晩は少し肌寒くなってきた(とは言っても気温では20度前後)ところですが、ふと、2018年の香港の夏も、ここ過去5年ほどと同様に、家で「冷房・エアコン」を使わずにすごしたことを思いました。

今年の夏も、家では冷房をつけず、扇風機(兼、通風機)だけですごしたことになります。

朝晩は少し肌寒くなっても、お昼頃には25度前後まで気温があがり、陽射しはまだ夏の余韻をのこしているので、扇風機(通風機)は風をよわくして、(街中ではクリスマスの飾りが所々で見られる)11月になっても使っています。


「香港で冷房・エアコンを使用せずに過ごしていること」を香港に住んでいる人たちに伝えると、複雑な表情が返ってきたりします。

その背後には、やはり、とても蒸し暑い香港の気候が横たわっているわけです。

「そんなことしなくても…」というところでしょうか。

ぼくとしてはストイックさを追求しているわけでもないし、このことを自慢するようなことでもないし(「自慢」することなんてなにもないのですが)、ただ、香港のショッピングモールやオフィスや諸々の施設などが年がら年中冷房がふきわたっているため、身体をきづかい、せめて家くらいはできるだけナチュラルにと思ってはじめただけでした。

「環境にやさしく」ということは思わないでもないのですが(将来はもっと自然との共生を突きつめてゆきたいと思いながらも)、いまは扇風機を動かしてますし、とても暑い日は上述のような場所で冷房にあたることもあるので、そのような高尚なことを掲げる気はありません。

あえて言えば、とても蒸し暑い日はやっぱり暑いと感じながら、でもどこかで楽しみながら、冷房・エアコンを使用しない生活をおくっていたのです。

なお、冷房・エアコンを「使用していない」ということは、冷房・エアコンが「ない」ということではありません。

冷房・エアコンは「ある」のであり、その気になれば、スイッチオンすることができます。

そんなわけで、ふと気がつけば、今年の「香港の夏」も、家で冷房・エアコンを使わずに夏をのりきったなぁと、まだ陽射しがつよくふりそそぐ香港で、思ったのでした。


とは言いつつも、注意書きとして追加的に書いておかなければいけないのは、香港のどこでもできることではなくて、ぼくの住んでいるところが、風通しのよくて、比較的静かなところだから、このようなことを選択することができるということです。

どこの都会も似たようなところがあると思いますが、香港の高層マンションが密集していて、車通りがはげしかったりする場所ですと、空気や騒音などの問題があります。

ぼくの住んでいるところの周りは海や緑がひろがっているため、窓をあけひろげて、自然な空気をじゅうぶんに部屋にまねくことができることが、冷房・エアコンを使わない選択肢を準備してくれるものなのです。


より自然な空気のなかで生活していると、やはり、身体がそれに順応していきます。

それと同時に、しかし、冷房・エアコンの環境に対する「慣れ」が減じていくようなところがあるため、上着などを用意して柔軟に対応しようと心がけるのですが、それでも冷房による独特の「冷え」が身体にひびくことがあります。

そのような「結果」や「影響」を(文字通り)体験しながら、いろいろと感じたり、楽しんだり、考えたりしています。

「エアコン」を人間が発明し(たしか、最初に産業用として使われたようなことを、ある作家が語っていた)、それが都会生活のすみずみにまで行き渡りながら、人間は、生活し働くことの、大きな可能性をおしひろげてきました。

「エアコン」がなくなったら、現在の世界の経済活動などは、かなり減速してしまうだろうし、影響ははかりしれないと思うところです。

でも、それが、人間の身体という「内部の自然」と、地球環境という「外部の自然」との臨界線に、さまざまな問題や課題を生成させていることも事実です。

とはいえ、そのようなことのはるか手前のところで、ぼくは、なるべく自然の風にこの身体をひたすことを望んで、家の窓をあけひろげているのです。