だいぶ前のことになるけれど、ブログ「「ルービックキューブ」の完成を体験してみる。- <できる>という身体感覚。」を書いた。
「ルービックキューブ」を知らない人たちももしかしたらいるだろうし、また世界レベルでは現在「どのくらいの速さ」でルービックキューブを完成させるのか知らない人たち(ぼくもその一人だった)もいるだろうからと、そのときに「とても簡易なイントロダクション」を書いたので、ここでもイントロダクションとして載せておくことにしよう。
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「ルービックキューブ(Rubik Cube)」。
ハンガリーのErno Rubik(エルノー・ルービック)教授が、1974年に創った立体のパズルである(※参照:Rubik’s Brand社のホームページより)。
1980年に世界で販売されるようになってから、推定4億個ものルービックキューブが販売されたようだ。
ルービックキューブは、一面は3x3=9個のキューブ、6面から成る(※現在は様々なバージョンがある)。
それぞれのキューブには色がつけられ、色がバラバラの面を、面ごとに同じ色にしてゆく。
生徒たちに3Dの問題を理解してもらいたく創られたもので、ルービック教授も最初にルービックキューブを創った際には、このパズルを解くのに1ヶ月を要したという。
年を重ねるごとに、パズルを解くスピードが上がり、2017年の大会では、優勝者は「4.59秒」という(ぼくはまったく予測もしなかった)秒数で、完成させている。
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ぼくが突如、今となって「ルービックキューブ」を取り上げたのは、海外旅行時の娯楽として購入していた「携帯用ルービックキューブ」を部屋で見つけ、そしてインターネット上に掲載されている「パズルの解き方の手引き」を参考にしながら、生まれてはじめて、ルービックキューブを解いたことについて書こうと思ったからである。
「手引き」に忠実にしたがって解いたって、なにも「すごく」ないじゃないか、とある人は思うかもしれない。
もちろん、その通りで「すごく」なんかないし、もともと「すごさ」を誇示するためにブログを書いたのではない。
「手引き」通りに解いてみて嬉しかったことではあるものの、ぼくが書きたかったのは、なによりも、<できることを体感すること>という、身体感覚のことであった。
これまで「無理」だと思っていたことが<できる>ことで、その体験を通じて、この身体にその感覚をのこすことである。
そのようにして<できることを体感すること>は、ぼくに大切な感覚を与えてくれたようにぼくは感じたし、また、このことは「ルービックキューブ」だけでなく、人生のなかでいろいろと汎用性があることだと思ったのだ。
さて、ぼくのルービックキューブ体験はそのくらいにして、今回はルービックキューブを解く挑戦の「最前線」についてである。
雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)を読んでいたら、「For the Record」の記事ページで、「1 min., 36.39 sec.」という数字、その上に描かれている青年の挿絵と共にぼくの関心をひいたのだ。
簡易説明文には、こう書いてある。
「New world-record time for solving three Rubik’s Cubes simultaneously with both hands and feet, set by 13-year-old Que Jianyu of China on Nov. 8, Guinness World Records Day」
雑誌『TIME』(Nov. 26/Dec. 3, 2018)
つまり、訳すと、「両手と足を使って3つのルービックキューブを同時に解くのにかかる時間の新世界記録。11月8日世界ギネスレコードデーに中国のQue Jianyu(13歳)が記録を樹立」である。
2017年の大会での優勝者は「4.59秒」でルービックキューブを解くことでさえも、ぼくが予測していなかったことだけれど、さらに、両手と足を同時に使い、3つのルービックキューブを解くなど、まったく思いつきもしなかったので、ぼくはほんの一瞬、なにがなんやらわからなくなった。
そうして、YouTubeをひらき、実際の映像で確認してみて、ぼくは再度びっくりしてしまったのだ。
これだけでなく、Que Jianyuくんは、「目隠し」をしても、ルービックキューブを解くことができる。
もちろん、はじめに、手もとのルービックキューブのそれぞれの並びを確認し、解いてゆく経路を頭のなかに描いてから目を隠すのだが、それにしても、驚かないわけにはいかない。
こうして、ぼくは、ルービックキューブの「最前線」のひらかれ方に興味をおぼえながら、またその最前線を果敢に切りひらいてゆく人たちの挑戦と才能に感心してしまうのだ。
それは、<できることを体感すること>がじぶんの身体にも登録されていたからでもある(と、ぼくは思う。もちろん、ふつうに見てみるだけでも、圧巻なのだけれど)。
また、時代はいろいろな分野・領域で「テクノロジー」の時代に突入しているのだけれども、手元のルービックキューブを相手に、パズルを解くことを(いろいろな仕方で)追求してゆくことへと「最前線」をきりひらいてゆくことに、どこか、微笑ましい気持ちもわいてくるのである。
その光景は、ぼくたちが「楽しむ」には多くの資源の収奪を必要としないのだ、ということともつながってくるようにさえ見えるのであり、そのことは、幸せということにおいて、(資源収奪的ではない)「時代の可能性」の<最前線>が見えるのだということでもある。
ぼくは、ルービックキューブの「最前線」に通底するような、「時代の可能性」の<最前線>(「新しさ」から自由な<新しさ>)を追っている。