「旅で人は変わることができるか?」
10代の終わりから20代前半にかけてのぼくにとって、とても切実に迫ってきた「問い」です。
当時の思索ののちに至った、この問いに対する「答え・応え」は、「変わることもできる」し、「変わらないこともできる(変わらない)」という、ごくごくあたりまえのものでした。
今考えてみても、このような問いの立て方であれば、そう応えるしかないことは、至極当然のことのようですが、当時のぼくにとっては、それでも、「切実な問い」であったことに変わりはありません。
その「切実さ」に賭けられていたのは、「旅で人は変わることができる」として、どのような「旅」であるのか、「旅」を方法として取り出すとともに、どのように「人」を変えるのか、あるいはどのような影響を「人」にあたえるのか、という問いでした。
18歳のときにはじめて海外を旅し(鑑真号で横浜から上海へ渡り、西安と北京・天津をめぐる旅)、また香港、ベトナム、タイ、ミャンマー、ラオスへも足をのばし、さらには、ニュージーランドに「住む」という経験を経ながら、ぼくは、じぶんの身体の実感を手がかりにして「旅の方法論」をとりだそうとしたわけです。
ところで、当時読んでいた本のなかに、沢木耕太郎の著書シリーズ『深夜特急』(新潮社)があり、それは少なからず、ぼくの旅に影響をあたえたのでした。
今の若い世代に読まれているのかどうかはわかりませんが、ユーラシア大陸を、デリーからロンドンまで乗合バスでゆくという旅は、多くの人たちに影響をあたえてきたものです。
沢木耕太郎の旅(1970年代)は、インドのデリーを出発点とする予定であったのが事情により(今ぼくが住んでいる、ここ)「香港」からの出発となったのでしたが、そのことが幸福な仕方で作用し、「香港」というはじまりが、沢木耕太郎に「順化」の理想ルートをあたえ、また沢木耕太郎の旅のスタイルを形つくったのだということを、後年に書かれた沢木耕太郎自身の言葉によって、ぼくは知ることになりました。
その沢木耕太郎は、同じ著書『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社、2008年)のなかで、ぼくが冒頭に挙げた「問い」にも応えています。
沢木耕太郎は、この問いに対する「応え」の結論部分を、つぎのように書いています。
旅は人を変える。しかし変わらない人というのも間違いなくいる。旅がその人を変えないということは、旅に対するその人の対応の仕方の問題なのだろうと思う。人が変わることができる機会というのが人生のうちにそう何度もあるわけではない。だからやはり、旅には出ていった方がいい。危険はいっぱいあるけれど、困難はいっぱいあるけれど、やはり出ていった方がいい。いろいろなところに行き、いろいろなことを経験した方がいい、と私は思うのだ。
沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社、2008年)
旅は人を変えるし、旅は人を変えない。
最終的には、その「人」しだいである、という「結論」は、あたりまえの結論だけれど、肝心なことは、その結論に至るまでのプロセス、つまり経験じたいにあると、ぼくは思います。
沢木耕太郎は、自身の旅の経験を下敷きにしながらこの言葉を書いているとともに、たとえば、ほかの「事例」として、テレビドラマ化された『深夜特急』(1996年~1998年)に出演していた「大沢たかお」に触れています。
このテレビドラマが興味深かったところは、ドキュメンタリーとドラマを融合するという、その形式と内容にありました。
あるプロデューサーがあまりにも熱心であったため、テレビドラマ化の申し出を沢木耕太郎は受け入れることにし、のちに、ようやく決まった主演の、大沢たかおに出会い、そのときの大沢たかおの印象をつぎのように語っています。
私が初めて会ったときの大沢さんは、確かに背は高いが、線が細くてひ弱な感じだった。これであの苛酷な地域の旅に耐えられるのだろうかと心配になるくらいだった。しかし、考えてみれば、旅に出たばかりの私もほとんど似たようなものだったと思い返した。大沢さんもぜひやりたいと言うし…、それでは気をつけて行ってらっしゃいとロケに送り出した。…
沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社、2008年)
そののち、3年がかり、三部作の大作となった『劇的紀行 深夜特急』が放映されますが、沢木耕太郎は、このテレビドラマを見ながら、驚きにとらわれることになります。
…その中の大沢さんを見て私は少し驚いた。彼が明確に変化していったように見えたからだ。…仕事としての旅を彼は自分自身のための旅と捉え直していったらしいのだ。大沢さんは、一作目から二作目、二作目から三作目と旅していくうちに少しずつ変わっていった。それは、旅の質が変わったためではないか、と私には思われた。…
沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社、2008年)
大沢たかおの「変化」は、沢木耕太郎の眼にだけでなく、だれの眼にも明らかであったのではないかと思います。
少なくとも、ぼくの眼にも、明らかに感じるとることができた「変化」であり、そのことがこのテレビドラマを魅力的にした要因でもあったと、ぼくは考えます。
沢木耕太郎は、すべてうまくすすんだら、最終ロケ地のロンドンで落ち合って一杯酒を呑もうと約束していたとおり、ロンドンに向かい、そこで大沢たかおにふたたび会うことになります。
そのときに見た「大沢たかお」は、沢木耕太郎の眼に、「別人」のように見えたのであり、じぶんにたいして確かな自信をもったかのように感じたと、前掲の『旅する力 深夜特急ノート』のなかに書きながら、あわせて、日本に帰ってから大沢たかおが受けたインタビューの言葉をひろっています。
大沢たかおは、つぎのようにインタビューに応えます。
《この仕事の話をいただいた頃の僕って、力不足を認識している一方でどんどん大役が入ってきて。自分の足で歩いていない、自分が頭打ちになっているんじゃないか、その不安感から逃げ出したかったんです。未知なものを求めて、仕事をすべて投げ出して旅に出た26歳の主人公と一緒でした。
原作に、「ふっと体が軽くなった気がした」とか、「また、ひとつ自由になれたような気がした」って表現が幾度も出てくるんですが、僕も第2弾のインド・ロケをしてる頃そんな感じを強く持った。一場面一場面完成させていく度に、重い服を一枚ずつ脱いでいったような。
だから、マルセイユで身体を壊して医者から帰国を命じられた時も、撮影を止める気はなかったですね。ここで散るなら散るでいいかなって。》沢木耕太郎『旅する力 深夜特急ノート』(新潮社、2008年)
この言葉に耳をすませながら、大沢たかおの「変化」についても、そしてテレビドラマの魅力についても、ぼくは心の深いところで納得がいくような気がしました。
そして、やはり、「旅で人は変わることができるか?」ということへの、ひとりの人間の<応え>を見ることができたのだと思います。
つまり、沢木耕太郎が書いたように、「旅」にたいする、その人の対応の仕方ということをです。
それにしても、『劇的紀行 深夜特急』をいっそう魅力的にしているのは、井上陽水が歌う主題歌(「積み荷のない船」)であると、ぼくは思ってやまないのですが、いかがですか?