1990年代に、アジアを旅したり、ニュージーランドに住んでいたりしたときには、まだ、ビデオ通話はなかった(方法はあったかもしれないけれど一般的ではなかった)。もちろん国際電話はできたのだけれど、それなりにお金もかかるし、余程の急ぎの件がなければ国際電話はしなかった。
だから、ふつうのときであれば、旅先から、あるいはニュージーランドの住まいから、ぼくは「手紙」や「ポストカード」を手書きで書き、また家族や友人たちのなかには手紙やポストカードを送ってくれる人たちもいた。あるいは、東京に住んでいると、ときおり、海外を旅している友人たちからのポストカードが届いた。
相手のことを思いながら書き、手紙やポストカードのなかに相手を感じる。それはとても「しあわせ」なときであったと、ぼくは思う。
そのような、日本と海外の距離(感)、あるいは親しい人たちとの距離(感)が、海外を旅したり海外に住んだりすることを、いっそう「特別なこと」のように感じさせたのであった。
2000年代になって、情報通信技術の発展によって、インスタント・メッセージやビデオ通話などが一般的になってきて、この「距離・距離感」が一変した。
「インターネット環境」が整っていれば、世界のどこにいても、この「距離・距離感」を一気に縮めて、いつでも誰かとメッセージをやりとりしたり、通話することができるようになった。ぼくが2000年代半ば頃に西アフリカのシエラレオネや東ティモールに住んでいたときは、さすがにネット環境が整っておらず、実際の距離も、そして距離感も「遠く」に感じたものであったけれど、それでもインターネットがある環境ではすぐさま「つながる」ことができた。
2010年代は、スマートフォンの普及もあって、この「つながり」が、いつでも、どこでも容易になった。
いまぼくは、ここ香港でこうして文章を書いているけれど、こうしていながら、世界各地へ/から、メッセージや通話でいつでも「つながる」ことができる。手紙やポストカードを書き、あるいは受け取っていた時代が、それほど遠くない過去であるのにもかかわらず、はるか遠くの過去のように感じられるのである。
この「つながり」は、ほんとうにすごいことだし、ありがたいことだし、よろこばしいことである。けれども、手紙とポストカードの時代を、ぼくは懐かしみながら、あの「感覚」が失われつつあることが残念であるようにも思う。
もちろん、今だって、手紙やポストカードを届けることができるし、そうすることでいつもとは違った気持ちをのせることができるのだけれども、それでも、いつでも容易につながることのできる状況がいつも手元にあることを思うと、1990年代のときとは「違う」という感覚がぼくのなかで湧き起こる。
それでも、そのような少し残念のような気持ちをふきとばすような光景に、ぼくはここ香港で、出会う。
香港には、35万人を超える「Domestic Helper」(つまり、住み込みのヘルパーの方々)がいて、ほとんどがフィリピンとインドネシアから来ている人たちだ(香港政府の特別なスキームで香港に滞在している)。香港の人口が740万人ほどであることを考えると、35万人という人数のすごさを感じる。実際にも、マンションでも、通りでも、ショッピングモールでも、どこでも、ヘルパーの方々にすれ違い、この香港で共に共生しているのだ(香港に来るまで、ぼくはこの状況を知らなかった)。
そんな彼女たちが、通りを歩きながら、とてもうれしそうな表情をみせている。そして、すれ違うようなとき、ぼくは気づくことになる。彼女たちは、スマートフォンのビデオ通話で、おそらく、ふるさとの家族やパートナーやボーイフレンドや友人たちと通話をしているのだということ。
こちらが見ようとしなくても、どうしてもそのような光景が目に入ってしまうのだ。でも、ぼくを捉えるのは、彼女たちの笑顔だ。
そんなとき、ビデオ通話があること、ビデオ通話がいつもできるような環境であることを、ぼくはほんとうにすばらしいことだと思うのである。手紙やポストカードへの、ぼくの小さなノスタルジアなど、一気に吹き飛ばしてしまう笑顔なのだ。