ここ香港のHMVの店舗が清算手続きに入ったとのニュースが入り、実際にHMVの店舗が閉じられているのを目にしながら、「音楽ストリーミング」の時代の到来をいっそう現実的に、ぼくは実感する(※ブログ「「音楽ストリーミング」の時代のなかで。- 香港でその「移行期」を通過しながら。」)。
実際にはぼくも、Apple Musicが開始されて以来これまでずっと、Apple Musicの「音楽ストリーミング」サービスを利用している。Apple Musicによって、ぼくの手元に、5000万の曲たちにつながる「入り口」と「通路」を手にしたことになる。
音楽の好きな人たちにとっては、この夢のような世界が、現実として、手元に存在しているのだ。
そのような夢の世界の楽しみかたは、人それぞれに、いろいろと多様に、ひろがっているだろう。
たとえば、ある「名曲」の、いろいろなバージョン、さまざまなアーティストによるカバー曲も含めたいろいろなバージョンを、ぼくたちは楽しむことができる。名曲の曲名を検索にかけると、そのバージョンが贅沢にも、一覧で表示される。そのなかから、気になるものを選択するだけで、名曲の響きが空間にひろがってゆく。
エルヴィス・プレスリーの名曲「Can't Help Falling in Love」を検索して、ぼくはいろいろなバージョンを楽しむ。でも、やはり、エルヴィスの歌声に戻ってくるといった具合に。(※ブログ「エルヴィス・プレスリーの名曲「Can't Help Falling in Love」。- 「名曲」のなかの<名曲>というもの。」)
今取り組んでいるのは、村上春樹を「道案内人」としながら、ジャズの名作品にふれてゆくこと。村上春樹・和田誠による著書『ポートレイト・イン・ジャズ』(新潮文庫)が、この冒険のガイドブックだ。
『ポートレイト・イン・ジャズ』は、和田誠が描くJAZZミュージシャンの肖像と、村上春樹が書くエッセイが共演する作品。1990年代に刊行された2冊(『ポートレイト・イン・ジャズ』と『ポートレイト・イン・ジャズ2』)に、ボーナス・トラックが加えられて一冊となった文庫である。
まるでJAZZの名演のように、和田誠の描く肖像と村上春樹の文章が、うまいぐあいに鳴り響いている。55人がとりあげられ、村上春樹の個人的選択による、それぞれの「この一枚」(LP)が写真とともに掲載されている。
だいぶ前に読み始めた一冊であったのだけれど、今読み返してみると、途中で「止まった」ままであったようだ。途中、ピアニストのビル・エヴァンスがとりあげられているのだけれど、エヴァンスの一枚として選ばれている「Waltz for Debby」をぼくは(香港のHMVで)手に入れて聴いているうちに、すっかりその世界にとりこまれて、そこでずいぶん長いあいだ、立ち止まって楽しんでいたようだ。
当時は、「音楽ストリーミング」の世界がきりひらかれていなかったときで、ここで村上春樹おすすめの名盤(LP)を知って、香港のHMVでCDを探す必要があったのだ(アマゾンなどで検索して注文する方法などもなかったわけではないけれど)。
今となっては、(ぼくにとっては)Apple Musicによって、5000万曲への通路がひらかれている。
『ポートレイト・イン・ジャズ』をはじめから再読しつつ、そこで取り上げられている名盤を、Apple Musicで探す。あるものもあれば、ないものもある。「この一枚」がなくても、たとえば、Chet Bakerの他の作品やライブ録音を眺めては、「これだ」と思うものをひろって、じぶんの「ライブラリー」に収めてゆく。その過程での思ってもみなかった「出会い」に、心がおどることもある。
村上春樹の「この一枚」でApple Musicにあるものであれば、迷わず、「ライブラリー」に入れる。そうして、村上春樹が曲名にふれているのであれば、その曲を再生して、その曲の響きに耳を傾ける。そうして、村上春樹の「ことば」と、曲の「響き」を重ねてゆく。音楽の聴き方はとても個人的なものでありながら、その響きはどこかで個人を超えて、深いところで通底することもある。楽しいひとときだ。
別に村上春樹である必要はない。ぼくにとっては、たとえば、道案内人のひとりが、その感覚を信頼できる道案内人のひとりが「村上春樹」であっただけだ。
また、あたりまえのことだけれど、JAZZである必要もない。ぼくは今、このタイミングで、JAZZが聴きたくなっただけだ。これまで、ぼくにとってのJAZZは、とても限られた範囲だけであった。でも、ぼくの今の心身が、JAZZの響きとそこに在るものに、とても惹かれるのだ。
村上さんは、言うかもしれない。やはり聴くなら、LPをターンテーブルにのせて聴くんだよ、と。ぼくもLPにはまっていたときがあるから、そのよさは多少なりともわかる。デジタル音楽・「音楽ストリーミング」は、JAZZのほんとうの響きに、ある種の「距離感」をつくってしまうかもしれない。
でも、「いろいろな楽しみかた」があってよいのだと、ぼくは思う。楽しみかたは、無限にひろがっている。
ぼくは『ポートレイト・イン・ジャズ』の道案内に忠実にしたがいながら、音楽ストリーミングのライブラリーに分け入っては、JAZZの世界を楽しんでいる。