思想家・武道家の内田樹が、サイト『内田樹の研究室』で、「元号について」(2018年12月7日)という、興味深い文章を載せている。ここでいう「元号」は、もちろん、日本の新しい元号(2019年5月1日)を照準している。
朝日新聞から受けた「元号について」の取材を契機として、以前雑誌に書かれた文書に加筆された文章が、ここに掲載されている。
「いまの時代、元号なんて必要なのか?」という問いに対する、内田樹の応答だ。結論的には、「時代の区分としての元号はやっぱりあった方がいい」というのが、内田樹の立つところである。
確かに、西暦と元号の「併用」はややこしいし、「2019年」には平成と新元号元年の生まれが混在するし、あるいはいろいろなシステムや書類などの諸々もいっそうややこしそうだけれど、内田樹は、「西暦と元号の併用という「不便」に耐えるぐらいのことはしても罰は当たるまい」という立場にたつのだ。
私は西暦と元号の併用という「不便」に耐えるぐらいのことはしても罰は当たるまいという立場である。世の中には「話を簡単にすること」を端的に「よいこと」だと考える人が多いが、私はそれには与さない。「簡単にするにはあまりに複雑な話」も世の中にはある。それについては「複雑なものは複雑なまま取り扱う」という技術が必要である。…
ぼくも、基本的に同意である。ぼくが思うのは、「統一」するのがどうしても必要なものもあるけれど、<多様性>を保持することが肝要であることだ。見田宗介が書いたように、世界は、「標準語」(言語もそうだけれど、言語以外のことも)ではなく、<共通語>をもっていくことが課題である。「標準」は世界をつまらなくさせるし、あるいはもともと多様な人たちを抑圧してしまうこともある。「多様性」は、世界をおもしろくする。
内田樹の語るところも、もう少し見ておこう。
元号を廃して、西暦に統一しようというような極端なことを言う人がいるが、私はそれには与さない。時代の区分としての元号はやっぱりあった方がいい。そういう区切りがあると、制度文物やライフスタイルやものの考え方が変わるからである。元号くらいで人間が変わるはずはないと思うかもしれないが、これが変わるから不思議である。…
内田樹は「明治人」としての父親を例として挙げながら、その「不思議さ」(じぶんの脳内幻想としての「模造記憶」)について語っているが、そのあたりは内田樹のブログを読んでほしいと思う。
また、日本のように「元号」がない国も、「元号に代わるもの」を持っていることを、内田樹は指摘している。イギリスでは王が交代することで時代が区切られ、アメリカでは「10年(decade)」という時代区分が使われたりしてきた。さらには、そもそも「西暦」も、「イエス・キリストの生年を基準とする紀年法」であり、価値中立的なものでもないことに、内田樹は触れている。
ところで、西暦や元号などの「多様性」を好ましいものとして考えるのは、考えるとともに、この心身に感覚として感じるものがある。それは、時代という大きな区分ではないけれど、「一年」ということの区切り方として、中国の旧暦を生きてきた実感が、ぼくのなかにあるように思うのだ。
東ティモールに住んでいたとき、華人の人たちは旧暦にあわせて自国に帰国してしまい、その時期を考慮してプロジェクトを進行させる必要があったりして、ややこしかった経験がぼくにはある。あるいは、日本の元号も、今は何年と聞かれたら、ぼくはすぐに応えられない。
そんなぼくが、ここ香港で、10年以上暮らしながら、西暦と旧暦が「並存」する世界をじっくりと生きてきて、なんだか、異なることはいいことだと感じてきたのである(もちろん、並存によって「ややこしい」こともある。香港の労働法の規定にも影響していたりする)。
西暦と旧暦が「並存」する世界に生きてきて、逆に、世界や社会がひとつの「時代的/時間的な枠組み」のなかに入ってしまったら、それは逆にこわいことだと思いはじめたのだ。
「異文化」という言葉には「ややこしさ」の感覚がどこか含まれているようにも感じるが(そしてぼくも実際に、さまざまな「ややこしさ」に悩まされてきたのではあるけれど)、<異なり>があるからこそ、いろいろなものやことが<視える>こともあるし、可能性もひらかれるし、やはりおもしろいのだと、ぼくは思うのだ。