香港の湾仔に位置する「The Hong Kong Academy for Performing Arts」(香港演芸学院)のシアターでは、毎年ミュージカル公演がある。2019年1月には『Mamma Mia!』(マンマ・ミーア!)が開幕する。
『Mamma Mia!』(マンマ・ミーア!)は、ABBAのヒット曲によって構成されるミュージカル。2008年には映画化(メリル・ストリープなどが出演)もされ、今年2018年には映画第二作目『Mamma Mia! Here We Go Again』が上映されている。
だいぶ前(5年以上前だと思う)、香港の『Mamma Mia!』ミュージカル公演を観に行ったことがあって、そのときの「観客の女の子が発した声」が、いまでも、ぼくのなかに鮮やかにのこっている。
シアターに鳴り響いた「女の子の声」にたどりつくために、『Mamma Mia!』の「あらすじ」に、かんたんに触れておかなければならない。なぜならば、「女の子の声」が響きわたったのは、上演の最後のほうであったからである。
『Mamma Mia!』は、ギリシャの島の小さなホテルを舞台に、そのホテルの経営者である母親ドナと娘ソフィ、さらにソフィの父親かもしれない男性3名が加わって展開してゆく物語。
婚約者スカイと結婚する準備をすすめているソフィは、結婚式では父親にバージンロードを一緒に歩いほしいと願うが、父親が誰だかわからない。ソフィは母親ドナの日記の記述から父親の候補者3名を見つけだし、ドナに内緒で結婚式に招く。内一人が父親かもしれない3名の男性、サム、ビル、ハリーが島にやってくることになって、美しいギリシャの島で、ドラマが繰り広げられてゆくのだ。
そんなこんなで話は進展し、いろいろなドラマを通過しながら、最後のところで、男性の一人がドナにプロポーズをすることになる。こうして、男性がプロポーズの言葉をドナに投げかけるのだ。
「Would you marry me?」
たぶん、だいたいこのようなシンプルなプロポーズの言葉であったと記憶している。
このころには、ぼくを含め、観客の人たちは「物語の世界」にかんぜんに没入していて、息をひそめているように静かであったと思う。
と書いたところで、もうおわかりかもしれない。
このときの息をのむような静けさの空気を割ったのは、ドナではなく、観客の小さい女の子の「声」であった。
「I do!!!」
小さい女の子の声で「かわいい」声なのだけれど、凛としていて、とても澄んだ、確信に満ちた声が、会場をつらぬいたのであった。「つらぬいた」と書いたが、女の子が座っているであろう会場のちょうど真ん中あたりの席から、空気をつらぬいて、言葉が舞台で演じている出演者に<届けられる>のがわかるような声であった。タイミングも、かんぺきなタイミングであった。
舞台の上ですすむドラマにかんぜんに入りこんでいた会場は、どっと、笑いと歓声とで湧いた。
この雰囲気のなかを、ふたたび舞台の上にドラマをもどす出演者の方々のプロフェッショナリティもさすがであったけれど、女の子の「声」がいっそう<ドラマ>をつくったのであった。
それにしても、あのような透きとおるような「声」を聴いたのは、これまでにそれほど多くはないと、ぼくは思う。
「子ども」とは、じぶんと他者、またじぶんの「からだ」と「こころ」が未分化であったり、曖昧であったりする存在でもある。
そのように曖昧な輪郭の<境界線>が物語のなかでくずれて、意識することなく、あの女の子の身体が、あのような透きとおる声を発したのだと、ぼくは考える。
いつもミュージカルを観にいくわけではないし、たくさん観てきたわけでもないけれど、ここ香港で観たミュージカル『Mamma Mia!』は、ぼくにとって、もっとも印象に残っているミュージカルである。
舞台の上での演技やダンスや歌もとてもよかったのだけれど、それを観ていた観客の人たちのつくりだす雰囲気、そしてそんななかから奇跡のように放たれた、小さな女の子の「声」。
いまでも、あのときのことを思い出すと、ぼくの心は暖かくなる。