「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」。- 「自立」から<自立>へ。 / by Jun Nakajima


「自立」ということはよく考えていくと、なかなか深く、定義はいろいろに可能だ。

「自立」ということにたいする直接の語りではないけれど、心理学者・心理療法家の河合隼雄は、老年期における「一人で生きる」ということにふれながら、何かの本に書いてあったことを引いて、聴衆に語っている。

 

…どう書いてあったかというと、「二人でも、一人で生きていける人でないと駄目だ。一人でも、二人で生きていかないと駄目だ」とありました。
 夫婦でも、一人で生きていけるくらいの力のある者同士が夫婦でいるからうまくいくんです。また、「一人でも二人」というのは、一人でも心の中にもう一人誰かがいるということです。心の中にお父さんが住んでいる人もいるし、お母さんが住んでいる人もいるし、友だちが住んでいる人もいれば、もう一人の自分がいる人もある。…

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」ということは、「自立」ということの大切さと、またそのことが「一人であること」(だけ)に間違って転化して捉えられてしまうことの乗り越えを、シンプルに表現している。

別のブログでも取りあげたように、河合隼雄は、まわりと自分の関係性について、人や木や石などのまわりが「私」をやってくれている、というように、絶妙な仕方で表現している。

ふだんの「面白くない」関係だとか、「なにげない」風景との関係だとか、そのようなものをひっくるめて、「私が生きている」ということを支えているのだという視点だ。

河合隼雄はその話につなげながら、次のように語る。

 

…「私が生きているということは、松の木も、石ころも、みんな頑張ってくれているからなんだ」と。そういう感じがすごくわかってくると、一人でも、100人ぐらいで生きているみたいなものです。そんなふうに「一人でも二人」という感じになってくると、今度は逆に、二人で生きていても一人で生きていけるという、そういう感じになります。…

河合隼雄『こころと人生』創元社

 

「一人でも、100人ぐらいで生きている」という感覚、また、それが逆転する仕方で、「一人で生きていける」ことを支えるという、生きることの本質を、とてもわかりやすい言葉におきかえて語っている。

このようにさらっと言っているけれど、河合隼雄は幾度も念をおしているように、このようなじぶんをつくりあげていくためには、努力と工夫が必要であることを付け加えている。

日常に試行錯誤を通過していくであろうし、こんなことはそもそも忘れて日常を過ごすことになってしまうであろうけれど、しかし、このような視点をじぶんのうちにもっておくだけでも、何かの折に、深いところからの「気づき」がおとずれるのだと、ぼくは思う。

「二人でも一人で生きていける人、一人でも二人で生きていく人」という表現は、視点として、じぶんの生き方の「道具箱」におさめておきたい言葉のひとつである。