よりよく生きるためのヒントとして、ココ・シャネルの60の言葉があつめられた、高野てるみの著作『ココ・シャネル 女を磨く言葉』(PHP文庫)のなかに、次のようなシャネルの言葉がある。
「現実的であることは、ちっとも夢がないじゃないの。
わたしは夢を見ていたいのよ。」
高野てるみ『ココ・シャネル 女を磨く言葉』PHP文庫
この言葉の項目名として「嘘」とつけられているけれど、著者の高野てるみは、次のように解説を加えている。
…「嘘をつくというのも彼女の魅力のひとつといえる」と回顧録にもありますが、いくつもの回顧録を読んでいくと、シャネルの話はそのときどきで変わるのです。しかし、シャネルの伝説の真偽を考えるのは野暮というもの。彼女のストーリーを楽しむべきです。…彼女は「自分が好きだった小説をそのまま生きていた」と自ら言っていますし、これ以上の真実はあり得ません。
高野てるみ『ココ・シャネル 女を磨く言葉』PHP文庫
「自分が好きだった小説をそのまま生きていた」ということは、ぼくに、「赤毛のアン」のアンの姿を思い出させる。
シャネルとアンがいわゆる「孤児院」での生を通過しているという共通点は考えさせられるところだけれど、二人の姿を重ねる見方をする人たちは、ぼくに限らずいるようだ。
例えば、ホッピーの3代め社長・石渡美奈もブログで「赤毛のアンとCOCO CHANEL」と題して書いていたりする。
「小説をそのまま生きていた」とシャネルが言うときにぼくが思うのは、「物語を生きる力」だ。
「現実か夢か」という、近現代の常套とされた対比ではなく、シャネルは「現実」へと生を脱色していったときにそこには何もないこと、そしてそこには人が描く<物語としての生>(=夢)しかないことを、感覚していたのではないかと、ぼくは推測する。
自分の回顧録を依頼するため、作家トルーマン・カポーティに際には、「わたしの頭を切ってごらんなさい。中は13歳よ。」とシャネルはカポーティに言ったという。
12歳でシャネルは孤児院に送られ、「人生は幼年時代の続き」とも語っていたシャネルの生は、<物語としての生>(=夢)を生ききることのうちにひらかれていったものであったと思う。