日本の文学作品を、最近はそれなりに手にとって、読むようになった。
20歳を超えるまでは本はほとんど読まなかったけれど、10代から20代の前半くらいにかけて特に日本の文学作品は、ぼくの関心からおよそかけ離れたところにあった。
それから20年、そのほとんどの期間を日本の外で暮らしているうちに、ぼくは、夏目漱石や大江健三郎、また日本の古典的作品に、少しずつふれるようになってきている。
加藤典洋や河合隼雄などの著作における「読解」の角度や深さに、作品の面白さについての手ほどきを受けたことも理由のひとつだと思う。
けれども、やはり海外という「異なる空間」(異文化)で長く暮らすということの影響はとても大きなこととしてあるように、ぼくは思う。
日本にいるときは、海外のものに関心をもつ。
日本の外に出ることによって、逆に、日本のものに関心をもつようになる。
いわゆる<幻想の相互投射性>(見田宗介)ともいうべき、日本にいるときは海外にあこがれ、海外にいるときは日本にあこがれるというようなことかもしれない。
ただ、経験として、もう一段掘り起こすと、次のようなことであったようにも思う。
日本の外に出ること、つまり場所という<空間>をかえることで、次のような「効果」があったのではないかとかんがえる。
● 埋め込まれていた環境から「じぶん」を引き離すことで、より効果的に、自己相対化ができる
● ネガティブな偏見などから距離をとることで、自明性や偏見からいくぶんか距離をとって、ものごとを見てかんがえることができる
● いろいろな見方・視点を手にいれることで、ものごとを見てかんがえるときに、ひろい視野で見てかんがえることができる
「いろいろな見方・視点」を手に入れるなかでは、日本や(西洋にたいする)東洋にかんすることを、例えば「英語」で読むことで、上述のような「効果」の重層効果があったのではないかとも、思う。
文化や言語などにおいて異なる「他者の視点」で日本や東洋が照らされることで、同じものごとも異なる光のもとで見ることができる。
あるいは、日本語の複雑な言い回しなどが、(ひとまず)「わかりやすい言い回し」で語られることで理解(あるいは理解の一部)をたすけてもらうことができる。
これらのことは、「日本」からの<距離>(経験の質としての距離)が遠ければ遠いほど、効果は大きい。
その意味において、最初に赴任した西アフリカのシエラレオネでの暮らしと仕事は、やはり、日本からの<距離>が大きかったのだと思う。
その<距離>のはざまで、これまで埋め込まれていた環境の特異性・特殊性がうかびあがってくる。
「異なる空間たち」(異なる環境・文化・言語など)は、自己・自我というものがそれまでに構築してきた、いわば「身体的・精神的なシミュレーション(空間)」の磁場をくるわせ、壊し、問いを投げかける。
そのような経験を積み重ねていくうちに、じぶんのなかでも「対話」がすすみ、相手・他者(他者のいる文化など含む)を知ることと、じぶん(じぶんが生まれた文化など含む)を知ることが深まっていく。
じぶんと距離をつくり(じぶんをより客観的な位置におき)、時間を経ながら、いわば「異なる空間たち」と対話を深める。
そのプロセスで、「日本」や「日本なるもの」を掘り起こし、対話は続いていく。
これらを経験するために、もちろん、論理的には、わざわざ「海外」に出なければいけないということでは決してない。
今いるところの「井の中」を下に下に掘っていくことで、じぶんで<距離>をつくり、異なる空間たちと対話をしていくことはできる。
ただし、ぼくに限って言えば、「海外」に出るということが、経験上、必要であったように思う。
ぼくにとっては「井の外」の助けが、必要であったということだけだ。
でも、そのようなこととして、「井の外」は、方法のひとつではある。
「井の外」が助けになるかどうかは、翻ってじぶん次第ではあるけれど、やはり、方法のひとつであると、ぼくは思う。