村上春樹のデビューから2010年の未発表の文章が収められた『雑文集』(新潮社、2011年)を読み返していたら、「風のことを考えよう」という、以前読んだときにはあまり気に留めなかった短い文章に、目が留まった。
村上春樹のデビュー作品である『風の歌を聴け』の「風」のイメージに共鳴したということでは特にない(「風」という視点で村上春樹の作品を読み解いていくことはきっとおもしろいだろうけれど)。
「現代人はなぜ風を求めているのか」(見田宗介『現代日本の感覚と思想』講談社学術文庫)という問題意識と、なぜ「ぼくは」風に惹かれているのか、ということの問題意識の重なりのなかで、村上春樹の感性がどのように「風」をとらえているのかが、気になったのだ。
「風のことを考えよう」というフレーズは、トルーマン・カポーティの短編小説「最後の扉を閉めろ」という作品にあるという。
「そして彼は枕に頭を押しつけ、両手で耳を覆い、こう思った。何でもないことだけを考えよう。風のことを考えよう、と」
最後の“think of nothing things, think of wind”という文章が、僕はとても好きだった。…
そんなわけで、何かつらいことや悲しいことがあるたびに、僕はいつもその一節を自動的に思い起こすことになった。…そして目を閉じ、心を閉ざし、風のことだけを考えた。いろんな場所を吹く風を。いろんな温度の、いろんな匂いの風を。それはたしかに、役立ったと思う。
村上春樹「物語の善きサイクル」『雑文集』新潮社、2011年
「運び去っていくもの」としての風、あるいは「運んできてくれるもの」としての風があるとすれば、ここでは、つらいことや悲しいことを運び去ってくれる<風>が、想像力のなかでよびおこされているように見える。
しかし、村上春樹の「風」は、トルーマン・カポーティの「風」ー何でもないことーとは、微妙にズレているようにも見える。
村上春樹の「風」は、何でもないことに連想される風ではなく、「いろんな風」であり、いわば豊饒な風である。
自然の豊饒さに彩られた風。
「太古の始めから、風は吹いていた」と野口晴哉が感じるときの風と重なる風のようにも、ぼくには見える。
ぼくにとって、世界のいろいろなところで、「風」に吹かれた記憶がながれている。
ニュージーランドに住んでいたときは、北島でも南島でも、ぼくは海岸線や道や山を「歩く旅」のなかで、風に吹かれていた。
西アフリカのシエラレオネにおける「緊急支援」においては、ぼくが所属した団体名に「風」があったように、風のように支援を展開していた。
東ティモールの山間地で、「気流」にさらされながら、コーヒー農園をみわたしていた。
ここ香港では、海から吹いてくる風にさらされて、生きている。
「風」になぜぼくは惹かれるのだろうか、しいては、現代人はなぜ「風」を求めるのか。
村上春樹の(世界における)経験のなかでは、ギリシャの小さな島に滞在していたときの風が、風の記憶として色濃くむすびついている(ちなみに、ギリシャに滞在していたときの話は、村上春樹のエッセイ集『遠い太鼓』講談社文庫、に出てくる)。
日々、風とともに生きる場所であったようだ。
…風がひとつのたましいのようなものを持つ場所だったのかもしれない。ほんとうに、風のほかにはほとんど何もないような、静かな小さな島だったから。それとも、そこにいるあいだ、僕はたまたま風のことを深く考える時期に入っていたのかもしれない。
風について考えるというのは、誰にでもできるわけではないし、いつでもどこでもできるわけではない。人がほんとうに風について考えられるのは、人生の中のほんの一時期のことなのだ。そういう気がする。
村上春樹「物語の善きサイクル」『雑文集』新潮社、2011年
村上春樹は、人には「風のことを深く考える時期」があると書き、また、ほんとうに風についてかんがえられるのは、「人生のほんの一時期のこと」だと書いている。
1986年から3年間、村上春樹は日本を離れ、ヨーロッパに住む。
この長い旅を駆り立てた理由のひとつは、40歳になろうとしていたことであったという(前掲『遠い太鼓』講談社文庫)。
そして、ギリシャで、村上春樹は『ノルウェイの森』を書きはじめている。
村上春樹が深くかんがえていた「風」をぼくはかんがえ、記憶のなかに吹いている「風」と重ねあわせてみる。
たしかに、人が本当に風についてかんがえられるのは人生のほんの一時期なのかもしれないという思いが、思考の海を、風のようによこぎっていく。