村上春樹の「遠い太鼓」に呼ばれた旅。- 「空間(異国)」編:ヨーロッパでの3年。 / by Jun Nakajima

小説家の村上春樹の著作『遠い太鼓』(講談社文庫)。

1986年から1989年にかけて、村上春樹がヨーロッパに住んだときのエッセイ(記録)である。

「四十歳」に特別な予感をいだきながら、「遠い太鼓」に呼ばれるようにして、村上春樹(夫妻)は、三十七歳でヨーロッパに旅立った。

「四十歳」への予感ということと共に、ぼくの関心をよんだのは、この長い旅が、村上春樹にとって「初めての海外暮らし」であったことである。

 

村上春樹は、夫妻が置かれる「立場」がとても「中途半端」であったことを書いている。

「観光的旅行者」でもなく、かといって「恒久的生活者」でもない。

さらに、会社や団体などにも属しておらず、あえて言えば「常駐的旅行者」であったという。

本拠地をローマとしながらも、気に入った場所があれば「台所のついたアパートメント」を借りて何ヶ月か滞在し、それからまた次の場所に移っていく。

その生活の様子や出来事が、まるでそれらが物語のように、語られている。

物語のように描かれる世界、筆致と文体とリズム、視点や視角はとても魅力的である。

 

村上春樹は、そのような生活を「孤立した異国の生活」というように語っている。

その(自ら望んだ)孤立のなかで、村上春樹はただただ小説を書きつづけ、この3年間に、長編小説としては『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書き上げることになる。

『ノルウェイの森』はギリシャで書き始められ、シシリーで書き継がれ、ローマで完成したようだ。

『ダンス・ダンス・ダンス』は、ローマで大半が書かれ、ロンドンで完成されたという。

このようにして、これらの長編小説には「異国の影」がしみついているのだと、村上春樹自身が感じるものとして、できあがったのだ。

 

村上春樹は、これらの作品は、仮に日本に住み続けていたとしても、時間はかかってもいずれは同じようなものが書かれたであろうと、振り返っている。

 

…僕にとって『ノルウィイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』は、結果的には書かれるべくして書かれた小説である。でももし日本で書かれていたとしたら、このふたつの作品は今あるものとはかなり違った色彩を帯びていたのではないかという気がする。はっきり言えば、僕はこれほど垂直的に深く「入って」いかなかっただろう。良くも悪くも。

村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫

 

ヨーロッパでの孤立した生活のなかで、誰にも邪魔されずに、ひたすら小説を書く。

「なんだかまるで深い井戸の底に机を置いて小説を書いている」ようであったと、小説を書いている自分を、村上春樹は客観視する。

深い井戸の底に、垂直に深く「入って」いくことのできる<環境>を、ヨーロッパでの生活が準備し、そこで村上春樹の作品が生成する。

 

…結局のところ、僕はそういう世界に入りたがっていたのだと思う。異質な文化に取り囲まれ、孤立した生活の中で、掘れるところまで自分の足元を掘ってみたかった(あるいは入っていけるところまでどんどん入っていきたかった)のだろう。たしかにそういう渇望はあった。…

村上春樹『遠い太鼓』講談社文庫

 

さらに、後年になって、村上春樹は、ヨーロッパという異質な文化の環境で、「三年かけてこの本を書いたことによってなんとなく体得したもの」として、「複合的な目」を挙げている。

 

 外国に行くとたしかに「世界は広いんだ」という思いをあらたにします。でもそれと同時に「文京区だって(あるいは焼津市だって、旭川市だって)広いんだ」という視点もちゃんとあるわけです。僕はこのどちらも視点としては正しいと思います。そしてこのようなミクロとマクロの視点が一人の人間の中に同時に存在してこそ、より正確でより豊かな世界観を抱くことが可能になるはずだと思うのです。

村上春樹「文庫本のためのあとがき」『遠い太鼓』講談社文庫

 

この文章を、村上春樹は、ヨーロッパの次に住むことになった海外、アメリカで書いている。

 

ときおり、もし村上春樹が海外に住まず、日本で小説を書き続けていたら、彼の小説がどのようになっていただろうかと、ぼくは勝手にかんがえてしまう。

村上春樹が言うように、日本にいても書かれたのかもしれないけれど、『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』以後の長編小説の深い世界を思うとき、ぼくはやはりかんがえてしまうのだ。

そしてときおり、ぼくはじぶんのこともかんがえてしまう。

もし、ぼくが、海外に暮らさずに、日本で暮らし続けていたとしたら、と。

無意味な問いと想像なのかもしれないけれど、「四十歳の分水嶺」に村上春樹が予感していたように、「それは何かを取り、何かをあとに置いていくこと」という「精神的な組み替え」が、生きることの<空間の分水嶺>において生じたであろうところに、ぼくの思考と想像をつれていくようにも、思われるのだ。