柳田国男の「生の基底」のような旅(真木悠介)。- 旅人の気もちと視力につらぬかれる生。 / by Jun Nakajima

民俗学者の宮本常一のノート「野帖」が、研究のための旅も、シンポジウムでの対話も、読書も、宮本常一にとって旅のようなものとしてあったことを、シンポジウムなどで隣席となった社会学者の真木悠介は、<旅の方法としての学問>というように書いている(真木悠介『旅のノートから』岩波書店)。

また、真木悠介は、官僚さらに民俗学者であった柳田国男にとっての「旅」も、同じ方向性においてとりだしている。

 

 柳田国男が晩年に朝日新聞社に招かれた時、年に2ヶ月は旅行をするために休暇をほしいという条件を出して、「客員」という形式にしてもらったという。旅はそれほど、柳田の学問だけでなく生の基底のようなものであった。

真木悠介『旅のノートから』岩波書店

 

真木悠介は、柳田国男の名著『遠野物語』に付された折口信夫の「解説」にふれ、「…まして二十年前、若い感激に心をうるまして、旅人は、道の草にも挨拶したい気もちを抱いて過ぎたことであらう」と、遠野を歩いていた柳田をおもいうかべる折口信夫共々、生の基底のようなもとして「旅」というものがあった二人の呼応する生を見ている。

宮本常一にとって読書も「旅のかたち」であったと真木悠介が言うのと同じく、柳田国男にとっても読書も「旅のかたち」のようなものとしてあった。

柳田国男は「読むこと」について、次のように書いている。

 

 本を読むということは、大抵の場合には冒険である。それだから又冒険の魅力がある。…

柳田国男『書物を愛する道』青空文庫

 

柳田国男、折口信夫、宮本常一という、日本の民俗学を牽引してきた知者たちの生の基底に「旅」を見てきた真木悠介は、このようにして、自身の「旅」を、生きることの基底のようなものとしている。

1973年、30代半ばで初めての海外としてインドを旅した真木悠介は、その後も、インド、メキシコ、アメリカ、ヨーロッパなど、海外への旅を続ける。

著書『旅のノートから』(岩波書店、1994年)という美しい書物には、1973年のインドから、1991年のスペインにいたるまで、真木悠介の旅の軌跡を見ることができる(真木悠介は、1978年に、ぼくが今いる、香港に来ている。「香港」をどのように見たかについてはどこにも書かれておらず、直接お伺いしたいと、ぼくは思う)。

真木悠介にとっての「旅」は、彼の著作の内容や文体へ影響してきたと言えるし、また学問のあいだの境界や学問という世界をとびこえてしまう生き方と伴奏してきたようなところがある。

真木悠介(見田宗介)の方法である「比較社会学」の「比較」は、海外のそれぞれの文化や社会のあいだの「比較」という空間を行き来する視点を用意しながら、それはさらに「近代と前近代」などというように、異なる時間を行き来する<比較>をも方法として獲得してゆく。

これらの方法論は、はじめから、そして意図的に、「生き方」の発掘をめざしている。

ぼくは、「生の基底」のような旅に、強くひかれる。