身体の記憶として残っている「黙考」。- 小さいころに、学校で教わっていたこと。 / by Jun Nakajima

ぼくが小さかった頃、学校(小学校か中学校かと記憶が定かではないけれど中学校のように思う)で「黙考」という時間が日課のひとつとして、(おそらく)毎日とられていた。

「黙考」とは、字のごとく、「黙って考える」ことである。

確か、給食による昼食、お昼休み、掃除の時間が終わって、午後のクラスに入る直前だったと思うけれど、1分ほどの時間、目を閉じて「黙って考える」時間が、やってくる。

ぼくの記憶では、黙考の時間は、スピーカーから何らかの音色が流れていたように思う。

放送が入り、席に着席し、目を閉じ、音色にあわせて「黙考」する。

普通の公立の学校で、そんな具合に、「黙考」のための時間がとられていた。

 

当時は「何も考えない」というように指示を受けていたようにも、ぼくは記憶している。

けれども、「何も考えない」ということは、やってみるとわかるけれど、至難の技である。

美術家の横尾忠則は、かつて「坐禅」の世界にどっぶりと入っていた時期に、浜松市(ぼくの生まれ故郷である)の竜泉寺での「坐禅修行」の体験を、次のように書いている。

 

…「何も考えない」ことに徹しようとする。ところが何も考えないということは不可能なのである。意識がある限りぼくの心は動く。心が動くことは当たり前である。
 この心の動きがぼくの本姓なのだ。生きているから心が動いているのであると、また自分にいいきかせる。

横尾忠則『わが坐禅修行記』角川文庫、2002年(原著:1978年)

 

横尾忠則は当時30歳頃の体験であったのとは異なり、ぼくは自我意識の形成途上のような成長段階であったけれど、ぼくも、横尾忠則と同じように、「何も考えない」ことはできずに、ただ心の動きを感じ、心の落ち着きの方へと方向性を変えていた。

 

それにしても、毎日の日課のうち、この「黙考」を、ぼくは身体で覚えている。

多くのことを覚えていないなかで、しかし、「黙考」のことは覚えている。

当時は目的なんかは考えずに、ただ、学校の日課にしたがっていただけのことであるけれど、30年ほど経過しても、まだ覚えているから、不思議なものである。

 

気がつけば、現代においては、米国を中心としてメディテーションやマインドフルネスが見直され、仕事の合間、個人の日課、米国の学校教育などにもりこまれている。

異なる文化に生きる人たちがじぶんたちとは異なる文化の事象に光をあてる。

その光に逆照射されるようにして、ぼくはじぶんの生きてきた文化を見かえしてみる。

そしてぼくも、仕事の合間に、あるいはふとしたときに「黙考」を、今でも、生活にとりいれている。

そのような体験・経験をもとに、以前であればまったく目にも入ってこなかったような著作『わが坐禅修行記』を手にして、そこに聴こえてくる横尾忠則の息づかいに耳を澄ましたりしている。