香港で、ポピュラーな「日本食」をかんがえながら。- 「日本食」(例えば、とんかつ)の歴史を学ぶ。 / by Jun Nakajima

香港で、ポピュラーな「日本食」を思い起こしてみる。

特定の店の特定のメニューのようなものではなく、一般的な市民権を得ているものとしては、(ぼくの限定的な観察と感覚をもとに)挙げるとすれば、以下の日本食が挙げられる。

● 寿司(また刺身)
● ラーメン
● うどん
● とんかつ

この他にも、カレー、しゃぶしゃぶ、牛丼、焼き鳥、抹茶などがあるけれど、例えば牛丼は圧倒的に吉野家であったりして、多様なひろがりなどを考慮していくと、例えば、上記のような日本食が挙げられる。

また、インスタント麺の「出前一丁」は、一般的な市民権ではなく、特別な市民権を獲得している。

さらに、ここでは「お菓子」類は入れていないけれど、どこに行っても、日本のお菓子(ポテトチップスからポッキーまで)であふれている。

ぼくが小さい頃からあった、チロルチョコやアポロ、うまい棒だって、家のすぐ近くで買うことができる。

このようにして、日本食は、香港の至るところで、さまざまな形で見ることができるし、もちろん食べることができる。

 

現在的な香港では、「肉」and/or「揚げ物」という組み合わせは好まれるようで、香港でも好まれる「とんかつ」にぼくは興味をもち、そもそも「とんかつ」って何だろうと疑問がわく。

ぼくは肉と揚げ物は探し求めるほど積極的に食べないけれど、「とんかつ」というものに、ぼくは関心を抱いてきた。

香港に来てからのことである。

 

柳田國男の著作『明治大正史:世相篇』(講談社学術文庫)のなかに、「肉食の新日本式」という項目が立てられ、柳田國男は「肉食率の大激増」などにふれている。

 

…われわれは決してある歴史家の想像したように、宍(しし)を忘れてしまった人民ではなかった。牛だけははなはだ意外であったかもしらぬが、山の獣は引き続いて冬ごとに食っていたのである。家猪(ぶた)も土地によっては食用のために飼っていた。…ただ多数の者は一生の間、これを食わずとも生きられる方法を知っていたというに過ぎぬ。だから初めて新時代に教えられたのは、多く食うべしという一事であったとも言える。…

柳田國男『明治大正史:世相篇』講談社学術文庫、1993年

 

柳田國男の記述は、肉料理の詳細にまでふれているわけではない。

 

そこで手にしたのが、岡田哲『明治洋食事始め:とんかつの誕生』(講談社学術文庫)で、「とんかつ」そのものに焦点を当てながら、しかし「明治の洋食」という大状況を捉えている著作である。

岡田哲は、柳田國男の著作からもいろいろと着想を得ながら、牛肉の料理である牛鍋やすき焼き、それから1887年に牛丼の元祖である牛飯屋の出現などを詳細に追っている。

これらの詳細はそれぞれに興味深い研究と視点を提示しているけれど、ここでは、「とんかつ」がつくられる歴史の結論的流れにだけ、ふれておく。

 

…「とんかつ」がつくられる歴史は、一つのドラマを構成している。1872年(明治五)に、明治天皇の獣肉解禁があり、1929年(昭和四)に、とんかつが出現するまで、六〇年近い歳月が流れている。すなわち、牛鍋がすき焼きにかわる頃から、庶民の肉食への抵抗が揺らぎはじめていた。その後六〇年をかけた先人たちの努力の積みかさねにより、日本人好みのとんかつができあがった。…

岡田哲『明治洋食事始め:とんかつの誕生』(講談社学術文庫)

 

このドラマの結論的なこととして、岡田哲は、次のようなドラマの筋を挙げている(前傾書)。

① 牛肉から鶏肉、そして豚肉への変遷
② 薄い肉から分厚い肉への変遷
③ ヨーロッパ式のサラサラした細かいパン粉から、日本式の大粒のパン粉への変遷
④ 炒め焼きからディープ・フライへの変遷
⑤ 西洋野菜の生キャベツの千切りを添える
⑥ 予め包丁を入れて皿に盛る
⑦ 日本式の独特なウスターソースをたっぷりかける
⑧ ナイフやフォークではなく箸を使う
⑨ 味噌汁(豚汁・しじみ汁)をすすりながら食べる
⑩ 米飯で楽しむ和食として完成する

この変遷が、前述のように、六十年をかけてなされていく。

こうして、岡田哲はこれらをたんねんに見ながら、日本の食文化の核心にせまっていく。

 

これまで当たり前のように食べてきたもののルーツを辿っていく。

日本にいたときはそれほどその「ルーツ」に興味はわかなかったけれど、海外に住んで、海外でいわゆる「日本食」の受容のされ方を観察したりしているうちに、ぼくは「ルーツ」を知りたくなった。

「とんかつ」はどのようにして、今ここ(香港)にあるのだろうか、と。

じぶんの生きてきた日本文化も説明できないようでは、という思いもある。

そして、柳田國男や岡田哲の著作に目を通しながら、「じぶんは何も知らないじゃないか」と、思ってしまう。