英語圏の音楽には「Oldies(オールディーズ)」と呼ばれる、一群の音楽がある。
「一群の音楽」と書いたけれど、それはぼくのなかでの「Oldies」の感覚であって、Wikipedia(英語版)では「radio format(ラジオ・フォーマット)」というように書かれていて、(Wikipediaの記述の正確性はともかくも)「なるほどなぁ」と思う。
Oldies is a radio format that concentrates on rock and roll and pop music from the latter half of the 20th century, specifically from around the mid-1950s to 1970s or 1980s.
(オールディーズとは、20世紀後半、特に1950年代半ば頃から1970年代あるいは1980年代におけるロックおよびポップミュージックを集結させるラジオのフォーマットである。)
“Oldies” Wikipedia (※日本語訳はブログ著者)
ラジオというものが今とは異なった仕方で生活のなかに溶け込んでいる時代が20世紀の後半にはあって、そのなかに「Oldies」の音楽を届けるラジオ局がある。
1996年にニュージーランドに住んでいたころ、旅に出る際に小さいラジオをバックパックに入れ、テントを張っては、そこにラジオを立てかけて、そこからながれる「Oldies」の音楽に耳をかたむけていた。
確かに、そこには、「ラジオ・フォーマット」として、すてきな音楽の入り口が用意されていた。
「Oldies」という一群の音楽の象徴としては、1973年のアメリカ映画「American Graffiti」の世界がある。
この映画の世界は、「Oldies」という音楽世界そのものを体現するように描かれている。
映画には、1950年代半ばから1960年代にかけてのロックおよびポップミュージック、つまり、バディ・ホリー、チャック・ベリー、プラターズ、ビーチ・ボーイズたちの音楽の響きが鳴りわたる。
「Oldies」をとりまく現象として触れておきたいことは、大きく2つある。
ひとつに「Oldies」という「時代のきりとり方」があり、もうひとつに「Oldies」の音楽世界と現在の世界風景のズレのようなものである。
一つ目の「Oldies」という「時代のきりとり方」として面白い現象は、「Oldies」というラジオ・フォーマットが含む「時代」の変化である。
Wikipediaにあった記述のように、どこまでを「Oldies」として含めるか、つまり1970年代までか、あるいは1980年代までかは、時代の変遷とともに変わってきたようだ。
映画「American Graffiti」の世界のような1950年代から1960年代の「Oldies」は、ときおり「Golden Oldies」とも呼ばれてきたようで、しかし、2000年以降、「1970年代」の音楽が含まれ、やがて、「1980年代」の音楽も「Oldies」と呼ばれ始めたりしている(※Wikipedia「Oldies」)。
「近代・現代」という(経済発展の)時代の駆動力のひとつは、常に「新しさ」へと、製品を更新してゆくことである。
古いものも「リバイバル」という形で更新されてもゆくけれど、古いものは「新しさ」の装いを身にまとう。
音楽が「10年単位」で捉えられ、そこに時代の色を灯していることは面白いことだけれど、なにはともあれ、広義の「Oldies」には、1950年代から1980年代にかけての音楽の異なる色彩をひとつにまとめてしまうような力学が、2000年以降に働いてきたのである。
そのことが、二つ目の「Oldies」の音楽世界と世界風景のズレのようなものにも、つながっている。
1990年代に聴き、またときにバンドで演奏していた「Oldies」の音楽は、まだ当時、その響きは、生きている世界と交響するところがあったように、ぼくは思う。
1950年代や1960年代の音楽が1990年代の世界で流れていても、そこにはまだ、音楽と世界をつなぐ糸がつながっていた。
しかし、2018年の今、「Oldies」の音楽は、世界とのつながりを欠いてしまっているように、ぼくは感覚している。
ぼく個人としては、「Oldies」はとても好きだから、Apple Music(香港)の「Radio」のなかに創られた「経典老歌OLDIES Radio」局を選んでは、よく聴いたりしている。
ただし、そこに、今現在の「世界」とのつながりが、著しく欠けてしまっている/弱くなっているように感じるのだ。
だから、ぼくはぼくの内面の世界に、そのつながりを取り戻すように聴いている。
アメリカのベビーブーマーたちが10代を迎え、アメリカが繁栄を迎えたあの時代に生まれてきた「Oldies」。
それらの音楽の響きのなかに立ちながら、現代を見るとき、そこにある時代の落差のようなものの深淵が見える。
しかし、時代は古いものを「Oldies」に含めて定義し直しながら、それらと現代との稜線を書き換え、時代の間の深淵をもふさぐようにして変遷している。