キンコン西野亮廣は、じしんのブログで、「キンコン西野からのお願い」(2018年4月5日)という文章を書いている。
一応、連続ベストセラー作家なので、皆様ご存知の「印税」なるもものをいただいているのですが、貯蓄などはせず、税金をお支払いした上で、残りは全額投資しています。
「さすがに全額は嘘だろ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、嘘ではなく(マジで全額)投資しています。
西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日
「投資」とは、いわゆる金銭的投資ではなく、スナックを作る、分業制で絵本を作る、Webサービスをたくさん作る、学校を作るなどのことで、「皆が楽しめる『場』」を作ること。
「お願い」とは、「食いっぱぐれた際は夜ご飯に連れてってください。高いお店は緊張するので苦手です。お蕎麦か、ガード下の焼き鳥屋とかでいいです」というお願いである。
西野亮廣のかんがえる「お金」はいわゆる貯金通帳の数字ではなく、<信用>ということであるから、そもそもの考え方が異なっており、表層的な貯蓄論で議論しても行き場のない議論になるだけである。
西野亮廣は次のように書いている。
…現代(貯信時代)における「貧乏」は貯金の有無ではないので、貯金がつくことはあまり大きな問題ではありません。
そんなことより、面白い方が重要です。
西野亮廣「キンコン西野からのお願い」『西野亮廣ブログ』2018年4月5日
このような考え方がすんなりわかる人とわからない人では、生き方の方向性は大きく異なってくる。
貯蓄・貯金はもちろん、人それぞれのライフサイクルにおける出費をまかなうものでもあったりするから、貯蓄・貯金が良い悪いということではないけれども、生き方の方向性として、あるいは生き方のスタイルとして、西野亮廣のような思考と行動が、現代において生き方の可能性をひらいてくれていることは確かだ。
貯蓄・貯金そのものよりも、そこに埋め込まれた「心性」や「生き方」に光が照らし出されると、養老孟司が言うような「煮詰まった時代」という時代の閉塞性を突破するような思考と行動が増殖していくようにも思う。
今から50年程前の1969年、社会学者の見田宗介は新聞の連載で、「貯蓄する人生の心性」について、「幸福への軟禁」という短い文章を書いている。
この貯蓄する人生はどのような心性を生み出すだろうか。一口でいえば、戦争と革命への恐怖である。なぜならそれらは、過去の労苦の凝結であると同時に未来の幸福の基盤でもある「貯蓄」を台無しにするからである。だから彼らは、いらいらしながらしかもぬけ出せないような、すわりのわるい幸福に軟禁されている。そしてこの進歩主義的保守感覚こそ、今日の日本社会の秩序を支える心の安定勢力である。
見田宗介「鶴とバリケード」『現代日本の心情と論理』筑摩書房、1971年
見田宗介はその後の仕事で、一夜において革るような「革命」ではなく、<生き方の魅力性>という方法によって、ひとりひとりの生が歓びとともに解き放たれていく方向性を描き出してきた。
見田宗介は当時の時代状況のなかで「戦争と革命への恐怖」というように一口で表現しているけれど、西野亮廣の2017年の著作は『革命のファンファーレ』(幻冬舎)と題され、「革命」をつげる本である。
西野亮廣のいう「革命「は、「幸福への軟禁」をする者たちの(「恐れ」を土台とした)安定志向をこえて、信頼を基軸にしながら、ひたすら<面白い事・面白い場>に向けて突き抜けていくものである。
時代の感性たちが交差するところだ。