じぶんの思考と行動を見つめるためのシンプルな視点(方法)は、それらが、「fear(怖れ・恐れ)」からか、「love(愛)」からかを問うことである。
じぶんの他者に対する発言(意見やコメントやアドバイスなど)や行動が、どちらから発生してきているか。
プライベートにおいて、あるいは仕事のさまざまな場面において、じぶんの言動は「怖れ・恐れ」から来ていないだろうか。
とてもシンプルな見方・方法だけれど、それはとても大切なことを教えてくれるものでもあると、ぼくは思う。
自己啓発などの著作を読んでいると、ときおり、出てくる視点である。
例えば、Gerald G. Jampolsky『Love is Letting Go of Fear』(Celestial Arts, 1979/2004/2011)は、邦訳『愛とは、怖れを手ばなすこと』(サンマーク出版)も出ていて、長く読み継がれてきている本である。
英語版の第三版には、音楽家のカルロス・サンタナが文章を寄せており、彼にも多大な影響を与えてきたことが書かれている。
この本では、本のタイトルにもあるように、「手ばなすこと(Letting Go)」など、さまざまな角度から、「fear」と「love」のことが展開されている。
「fear(怖れ・恐れ)」は、よく言われるように、そこで怖れるもののほとんどが、実際には起こらない。
その起こらないことを怖れて、その怖れをベースに発言がなされたり、行動が起こってくる。
「これは、あなたのために…」という発言を掘り下げてゆくと、往々にして、じしんの怖れから来ていることがわかったりする。
そして、怖れから発せられる言葉や、怖れに起因する行動は、怖れが明示的ではなくても、他者は自然と感じてしまうものである。
言動を起こす側は「怖れ」をいだき、言葉を受けたり行動が向けられる人もそれを察して、心が閉じてしまう。
だから、「fear」を解きほどいてゆくこと、手ばなしてゆくことが、そのような状況をひらいていくうえで、とても大切である。
「fear(怖れ)」それ自体が悪いなどと言うのではないけれど、言動を起こす側としても、あるいはそれらの受け手にとっても、「love」に充ちているような世界を、ぼくは選択する。
良し悪しの問題ではなく、どのような世界を選ぶのかという、「選択」の問題である。
なお、「love(愛)」という言葉は、なかなかわかりにくいものでもある。
定義のされ方もいろいろであるけれど、それは、ほんとうは、だれもがすでに「知ってる」ことでもある。
言葉に捉われすぎずに、まずは、じぶんの言動が「fear(怖れ)」から来ていないかを見つめてみることである。
「fear(怖れ)」を見つけることができたら、ゆっくりと、それを手ばなしていくこと。
「fear(怖れ)」を含め、ぼくのなかにあるあらゆることを、ぼくは、ずーっと、「手ばなす(Letthing Go)」ことをつづけている。