「断捨離」で有名な、やましたひでこ。
ここ香港でも、著作の中国語版が書店にならんでいる。
そのやましたひでこは、著書『大人の断捨離手帖』(学研)のなかで、男性が抱え込みがちなモノ、女性がため込みがちなモノにふれて、次のように述べている。
特に、男性は、プライドを大事にする生き物。「自己重要感」を満たしてくれるモノ、「自分はすごい!」とアピールできるモノを抱え込みがちです。
…
女性は、誰からも愛されたい生き物。「承認欲求」を満たしてくれるモノをため込みがちです。
やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年
このような傾向を見てとりながら、実例として、次のようなものを挙げている。
<男性>
- コレクター商品:フィギアや骨董、レコードなど
- ネクタイ
- 本
<女性>
- キッチン道具類
- 洋服
- 容れ物
大切なことは、これらに照らし合わせながら、じぶんがどうこう、家族がどうこうと言うこと以上に、それらを通じてじぶんを見つめなおしていくことである。
ぼくは、これらの例を見ながら、たくさんある「本」を通じて、じぶんを見なおす。
やましたひでこは、男性が本を抱え込む背景には、「知識コンプレックス」が潜んでいる可能性があるという。
かしこく思われたいなど、周囲から一目置かれたい欲求というわけだ。
ぼくにとって「本」の存在は、それ自体で歓びのあるようなものであるけれど、購入しても読んでいない本の「山」や「リスト」(電子書籍)を見ていると、そのような欲求があったことを、ぼくは見てとる。
しかし、やましたひでこの言う「知識コンプレックス」ということ以上に、知識は、ぼくの「武装」でもあったように思う。
それは、「知識武装」ということが、何かを解決することへの<攻め>を示唆すると同時に、「武装」という言葉に隠れる「じぶんを守る」という<守り>の感情があるように、ぼくは思う。
その感情は、ひとつの「怖れ」のようなものだ。
「知る」ことで、ぼくたちは、世界をじぶんが説明できる「ことば」に置き換えて、安心をえる。
やましたひでこは、「モノをためこむ3つの心理タイプ」として、次のように書いている。
「モノをためこむ3つの心理タイプ」
(1)現実逃避型
(2)過去執着型
(3)未来不安型
これらの「型」はとても整然とまとめられていて、ぼくたちの「心」を見つめる際に、とても役に立つ視点である。
そして、やましたひでこは、これらの型すべてに「共通する心理パターン」として、次のように明晰に語っている。
それは、どの型の場合も、モノをため込む心理のもとにあるのは「怖れ」だということ。
現実を見たくない。過去の栄光を手放したくない。将来困りたくない。
こうした怖れが、「執着心」を呼び起こします。別の言い方をすれば、私たちの心の弱点が、モノをため込ませるのです。
やましたひでこ『大人の断捨離手帖』学研プラス、2015年
このような「怖れ」を、それもよしとしながら、どこかで反転させてゆくことが、生きることをひらいていくことになる。
「片づけること」は、そのような反転のプロセスにおいて、とても効果的な手段である。
「本」は、しかし、読めば読むほどに、その経験を深く突破していけばいくほど、「ぼくは何も知らない」ということを、ぼくに教えてくれる。
知っているけれど、知らないという逆説のなかに、ぼくは絶えず置かれてゆくことになる。
でも、「知らない」ということが、いわゆる<ない>という否定性のなかに置かれるのではなく、逆に、「wonder」(なんだろう)と表現できるような果てしない好奇心の方へ突き抜けてゆくところに、ぼくにとっての「本」がある。
そして、そうなると、「本」だけではなく、実際に体験する方へと、生をひらいてもいくのだ。
パウロ・コエーリョの作品『アルケミスト』(角川文庫ソフィア、1997年)の物語において、錬金術を本で学んできた少年サンチャゴに対して、学ぶ方法は「行動を通してだ」と、錬金術師が導くように。