「じぶんの物語」の構成要素。- コピーライター糸井重里の思うところ。 / by Jun Nakajima

コピーライターの糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称:「ほぼ日」)。

1998年6月6日創刊のウェブサイトである。

40代の「暗いトンネル」を抜けてきた糸井重里が、50歳になって、トンネルを抜けた先につくりだした「世界」である。

今ではアプリも出ていて、「ほぼ日」のコンテンツへのアクセスが格段にしやすくなった。

 

「ほぼ日」のなかに「今日のダーリン」という、「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」というコーナーがある。

ぼくのiPhoneは、毎日午前、「ほぼ日」アプリからのNotificationで「今日のダーリン」の更新を伝えてくる。

2018年4月6日の「今日のダーリン」で、糸井重里は「じぶんの物語」に触れて、おもしろいことを書いている。

 

・信仰と科学のちょうどいいバランスのなかに、じぶんの物語が落ち着けたらいいのになぁと思う。犬と暮らしているそれなりに多くの人が、「犬がしゃべった」と言う。うちにいたブイヨンは「かなちゃん」と言った。じょうずにではないが、家人の名を親しく呼んだ。ぼくらの物語のなかでは、なんの問題もないことである。それは信じるという次元にあるからだ。…しかし、同じ人間が、つまりぼくが、「犬はしゃべらない」ということを知っている。…これは科学であり、先人たちの労苦の末に得た知見だ。…

糸井重里、04月06日の「今日のダーリン」『ほぼ日刊イトイ新聞』

 

糸井重里の思い描く「じぶんの物語」の構成要素だ。

この文章に続いて、糸井は、「犬が笑った」ということ、おみくじ、飛行機の旅をとりあげて、生きるうえでの、「信じることと科学」のバランスについて書いている。

ぼくたちはおみくじで大吉を引いて悪い気はしないけれど、おみくじがおおよそどのように作られているかを知っている、など。

この語ることのむずかしいテーマを、糸井重里の「じぶんの物語」に依拠しながら、絶妙な表現で語っていると、ぼくは思う。

 

…ぼくの、ぼくなりの物語というのは、まるまるぜんぶが科学でできているわけじゃないし、こころの信じることだけでできているわけでもない。
…つまりその、犬はしゃべるし、犬はしゃべらない。ぼくらは、そのあやしげな釣り合いのなかに生きている。そして、そのバランスは他人とちょっとずつちがうのだ。

糸井重里、04月06日の「今日のダーリン」『ほぼ日刊イトイ新聞』

 

生きることの「物語」ということをかんがえるとき、あるいは生きることの「物語」を実際に生きていくうえで、糸井重里の視点は、大切なことを伝えてくれている。

 

それにしても、「今日のダーリン」という「糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの」は、「ほぼ日刊イトイ新聞」のなかにあって、やはり特別な位置に存在しているように、ぼくには見える。

「ほぼ日刊イトイ新聞」の他の多くの企画を、ある「物語」において、つなぐような力を宿している。

ともすれば、雑多に見えてしまうような企画やビジネスや商品を、それこそ「信じることと科学のちょうどいいバランス」でもって、「ほぼ日」的な「物語」のなかにおさめているのだ。