ここ香港は、5月後半、快晴の夏日がつづいている。
すきとおる空には、夕方から、月と木星と金星たちが、光をはなっている。
月は満月となり、明るい光が香港にふりそそいでいる。
古代の人たちが見たら心底驚くであろうiPhoneアプリ「skyguide」を空にかざして、木星と金星であることを確認し、やがて火星も姿を見せるだろうことを知る。
香港の明るいネオンなどにも照らされる香港の夜空にあって、月、火星と木星と金星は、太古からふりそそがれていたであろう光を、今日も届けている。
これほどくっきりと、月と太陽系の惑星たちが響宴する光景に、ぐーっと、ぼくはひきこまれる。
月と火星を見ながら、人類が近い将来それらに到達し植民することを想像すると、とても不思議な気持ちになる。
イーロン・マスクのSpaceXが火星を目指し、そしてジェフ・ベゾスのBlue Originは月の植民を目指す。
ジェフ・ベゾスは、月植民計画で、製造業の拠点を月におく構想を説明している。
そんな未来も、やがて現実化していくことを思うと、とても不思議な気持ちになる。
近い将来、月や火星を見ながら、そこに住む家族のことを思う人たちが出てくるのだ。
それにしても、これから生きてゆくうえでは、「宇宙」は視野にいれておきたい。
「グローバル化」は、その進展の果てに、どこまで行っても「球」である地球を(あらためて)発見したのだけれど、そうであるからこそ、そこに環境と資源の問題にぶつかることになる。
これらの限界問題を超える仕方として、「宇宙」という空間が現れてくる。
イーロン・マスクも、ジェフ・ベゾスも、Googleも、すでにそこを見据えて動いている。
月と火星は、宇宙ビジネスの拠点の最前線である。
もちろん、そのような「功利」的な視野に限らず、やはり、「宇宙」はそれだけで魅力的なものである。
地球と同じように、太陽の周りをまわる惑星たちを感じながら、太陽系の住んでいることを感じさせられる。
香港の夜空にその姿をみせる火星をみながら、ぼくは、人類が火星に到達する日を夢見る。
少し赤みがかった火星が、人類の到達を待っているかのように、地球に視線を向けている。
火星を眺めていたら、ふと、映画『The Martian』(邦題『オデッセイ』)を見たくなり、映像を再生して、その日がまるで来ているかのように、ぼくは疑似体験してみたりする。
そうして、宇宙に視線をなげたとき、その視線が反響してかえってくるこの地球の美しさ、その奇跡に、深く、しずかに心を動かされる。
映画『The Martian』で、マーク(マット・デーモン)が地球にもどってきた「Day 1」に、生命を宿す植物の芽をじぶんの足元にみつけるとき、彼はそこに地球の奇跡をみいだす。
地球という惑星に、奇跡のようにひろがる自然が、火星や宇宙空間を鏡としながら、鮮烈に立ち上がってくる。
はるか未来、人類は、太陽系を超えたところに、地球と同じような惑星を見つけ、到達するかもしれない。
そうだとしても、この地球の存在の奇跡は、そがれることはない。
また、今のところ、観測できる範囲では、宇宙に、この地球に変わる場所はない。
満月の夜には、宇宙、そしてこの「宇宙船地球号」が、ぼくに語りかけてやまない。