ここ香港で話される「…先生(sin sang)」は、成人男性に対する呼び名だから、ぼくはときに「先生(sin sang)」と呼びかけられたりするのだけれど、ここでは日本の「先生」のことを書いている。
学校を卒業してしまうと、普段の生活のなかでは、特定の仕事にかかわる場合をのぞいて、「先生」と呼ぶ人はあまりいないように思う。
そのことがよいことなのか、わるいことなのか、それは人それぞれであろう。
ぼくにとっては、まず、社会学者の見田宗介「先生」の存在が大きい。
別に普段お会いするわけでもなく、カルチャーセンターの講義を一度だけ聴講したことがあるだけなのだけれど、やはり、「見田宗介先生」である。
文章を書いているときは、「先生」を外すことが多いけれど、心のなかでは「見田宗介先生」である。
しかし、見田宗介先生のペンネームである「真木悠介」となると、事情は微妙に異なってくるかもしれない。
真木悠介氏としての見田宗介先生にお会いするのであればどうだろうかと、ぼくはかんがえてしまう。
小説家の村上春樹にとっては、自身も「先生」づけで呼ばれることはないし、また「先生」づけで呼ぶ人はいないけれど、今は亡き、心理学者・心理療法家の河合隼雄氏だけは、なぜか「河合先生」と呼んでしまうのだという(村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社)。
とくに、河合隼雄氏の学生でもないし、彼のクライアントでもないし、尊敬はしているけれど「人生の師」でもない河合隼雄氏を呼ぶときに、対面していなくても、「河合先生がね…」というように、「河合先生」と呼んでしまう。
そこには「何か理由がある」はずだと思ってみると、周りの人たちの多くが「河合先生」と呼んでいて、だいたい8(「河合先生」)対2(「河合さん」)の割合のように感じられるというのだ。
こうして、村上春樹は「理由」をじぶんなりにいろいろとかんがえていく。
…いろいろと僕なりに考えてみたのだけど(小説家というのは暇だから、いろんなことをわりにしつこく考える)、考えているうちにだんだん、要するに河合隼雄氏は、半ば意図的に「河合先生」という衣を身にまとおうとしているのではあるまいか、という気がしてきた。…要するに「かわい先生」と呼ばれることを、ごく自然ににこにこと受け入れることによって、自分を「河合先生」と「河合隼雄」とにうまい具合に分離し、使い分けているわけではないだろうか。もしそうだとしたら、さすが心理療法の専門家だけのことはあるなと思う。…
村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社
村上春樹がこの文章に続いて書いているとおり、そんなことは簡単にできることではない芸当である。
でも、村上春樹が河合隼雄と個人的に話をしていると、「河合隼雄」と「河合先生」のモードが入れ替わることがあったという。
たまにお目にかかって個人的に話をしていると、目の前で河合隼雄氏と河合先生のモードがすっと入れ替わったりすることがある。というか、こちらの目から見ていると、そういう風に感じられることがある。まるで風の方向で、森の中の木漏れ日がその印象を変えたりするのと同じように、顔つきがわずかに変化する。目の光り具合や、声のトーンがほんの少しだけ変化する。とはいっても、それで具体的に何かが変わるということではない。…
村上春樹「「河合先生」と「河合隼雄」」『雑文集』新潮社
このように察知する村上春樹の感覚と考えは、とても興味深い。
見田宗介先生についても、「見田宗介」名においては、大学の教員としての衣を身にまとっているところがある。
真木悠介名で書かれる著作たちは、世に容れられることを一切期待しないものである。
河合隼雄氏にとっては「心理(療法)」を軸にするモード変化であるように、見田宗介氏にとっては「社会」(世間)を軸にするモード変化のようにも見える。
いずれにしても、河合隼雄氏はぼくにとっても「河合隼雄先生」であり、見田宗介氏は「見田宗介先生」である。
ぼくが尊敬してやまない「先生」たちだ。