比較文学学者の四方田犬彦はかつて、香港文学の第一人者である也斯との5年間にわたる往復書簡の初めの手紙を、つぎのように書き始めている。
親愛なる也斯に
小学生の頃、わたしが漠然と抱いていた香港の映像は、三つの映像から出来あがっていました。女王陛下と、ネオンが華やかに輝く夜景と、それに高台から見下ろされた美しい海です。ここにきみに向かって長い手紙を書き始めるにあたって、わたしはまずこの三つの映像の起源について、お話ししなければなりません。…
四方田犬彦・也斯『いつも香港を見つめて』(岩波書店、2008年)
四方田犬彦が「小学生の頃」とは、1950年末から1960代前半にかけての頃で、もちろん香港が「返還」(1997年)される前のことである。
往復書簡は『いつも香港を見つめて』(岩波書店、2008年)という本にまとめられ、とても親密な文体で、香港と東京というアジア二大都市の街の風景、飲食、映画、文学などが描かれている。
その最初が、四方田犬彦にとっての「わたしが漠然と抱いていた香港の映像」であり、長い手紙の書き出しとして、それはとてもすてきな書き出しであるように、ぼくは思いながら読む。
読みながら、ぼくは、ぼくにとっての「わたしが漠然と抱いていた香港の映像」とはなんであっただろうかと思い出そうとする。
「小学生の頃」は、ぼくにとっては、1980年代にあたる。
それから、1995年に、初めて香港に降り立つときまで、「わたしが漠然と抱いていた香港の映像」はどんなものであったろうか。
「三つの映像」を挙げるとすれば、ジャッキー・チェン、「百万ドルの夜景」、高層ビル群、である。
でも、それらの「起源」となると、四方田のように、ぼくは語ることができるほどの記憶がない。
でも、テレビで、ジャッキー・チェンの映画のなかに、「香港」を観ていたことは確かだ。
夜景も、高層ビル群も、もしかしたら、映画のなかの映像であったかもしれない。
2007年、四方田犬彦と也斯との好奇心に充ちた往復書簡が終わるころに、ぼくは東ティモールから、香港に移り住むことになる。
それから10年以上の時間のうつりかわりを、ぼくはここ香港で生きることになる。
その間に、ぼくの「三つの映像」はどうなっただろうかと、じぶんのなかを見つめてみる。
もちろん、今は「漠然と抱いた映像」ではなく、「現実としての映像」が日々目の前にひろがっている。
「現実としての映像」を目の前に、じぶんのなかの映像を見るということは、おかしく聞こえるかもしれない。
けれども、「じぶんのなかの映像」を通して、あるいはその世界観を通して、ぼくたちは「現実としての映像」を見ていたりする。
そのようにして、「三つの映像」を思い浮かべて見て、ぼくに見えるのは、香港の海、(高速で時間を回しながら映像が移り変わる)高層ビル群、そして(まるでフランドルのタペストリのように)装飾された香港の多様性に充ちたイメージ、である。
それぞれの映像は平面というより、さまざまな時空が映像に凝縮されて、立体的になっている。
現時点での香港に抱く「三つの映像」を思い浮かべながら、「ある場所で生きる」ということは、映像が<立体的になる>ということかもしれないという想念が、ぼくのなかにわいてくる。